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8.12大西フォーラム 事後報告




2023.8.21 作成・矢沢国光


目次



■8.12大西フォーラム案内文書

 8.12オンライン大西広「中国の少数民族問題と社会主義の理念

――新疆ウイグル族・チベット族問題どう考えるか」のご案内 

●講師の紹介

大西広(1956年生まれ。京都大学名誉教授。慶應義塾大学名誉教授。マルクス経済学、統計学、近代経済学)

▲主な著作 

『マルクス経済学 第三版』(慶應義塾大学出版会、2020年4月30日)

『マルクス派数理政治経済学』(慶應義塾大学出版会、2021年10月、編著)

『ウクライナ戦争と分断される世界』(本の泉社、2022年9月5日)

『中国の少数民族問題と経済格差』(京都大学学術出版会、2012年9月、編著)

など

   

●テーマ 「中国の少数民族問題と社会主義の理念――新疆ウイグル族・チベット族問題どう考えるか」

  

●趣旨

 1995年に初めて新疆ウイグル自治区を訪問した瞬間から民族差別の存在を私は強く印象づけられてきた。毛沢東は1950年代から「大漢族主義を批判する」とのキャンペーンをしていたにも関わらず、鄧小平以降の社会主義イデオロギーの衰退、国力の強化の下でのナショナリズムの強まりの結果と思われる。

 ただし、西側キャンペーンには、現地少数民族の利益を顧みずに、ただ非難することで中国の影響力を抑えようという悪意のある否定的なプロパガンダとしての性格が強く、この少数民族問題自身にも悪影響を及ぼしている。少なくとも自国の少数民族問題を不問としたままでの中国の少数民族問題への非難は否定的な役割しか果たさないことも合わせ論じておきたい。

   

●参考文献

「主な著作」に掲げましたが、『ウクライナ戦争と分断される世界』(本の泉社、2022年9月5日) は新書程度の大きさでお勧めです。


●開催方式 ZOOMによるオンライン


■フォーラムの経過

司会者(矢沢国光)による講師紹介、「本日のテーマについて」。

大西広先生の講演が、事前配布されたスライドにそって、前半50分、10分の休憩をはさんで後半40分の講演。そのあと、質疑を、時間を延長して、40分間。

 最後に、世界資本主義フォーラム顧問・河村哲二が「終わりの言葉」

 参加者 20名。


●本日のテーマについて ――大西先生の講演に期待すること

                (世界資本主義フォーラム・矢沢国光)

(1)アメリカは「新彊ウイグル族への人権侵害」批判によって、「対中包囲網」を再構築しようとしている。米欧(日)の非難する新彊ウイグル族への「収容所」「産児制限」「強制労働」「宗教弾圧」「言語弾圧」等は、どこまで事実にもとずくものか。ご自身で十数回現地調査し、また、中国政権の政策について是々非々の立場を堅持しておられる大西先生の見方をお聞きしたい。


(2)中国共産党政権は、その国家としての形成過程において、新彊ウイグル族やチベット族の分離・自立要求と衝突した。共産党政権がなぜ分離・自立を容認できないのか。


(3)中国中央と新彊ウイグル族の経済的対立は、改革開放後、むしろ先鋭化している――漢族の新彊ウイグル自治区への植民と経済開発、建設生産兵団、一帯一路構想の基点としての戦略的重要性など。中国中央と新彊ウイグル族の対立をどう見るべきか。


(4) 9.11以降の列強の「反テロ戦争」とソ連崩壊のなかで高まる新彊ウイグル自治区の「分離主義」とイスラム過激派への過剰な警戒が、中央政権の新彊ウイグル族への強権統治をもたらしていないか。


■講師の補足コメント(大西広)

 河村哲二顧問が「終わりの言葉」でおっしゃっていたように、この問題は「国民国家nation state」というものをどう考えるかに深く関わっています。

討論の中でも述べましたが、アフリカの諸国を見渡したとき、ほぼすべての「国」がnation stateが成立する前に成立されてしまったために、ほぼ例外なく、内戦を経験して来ました。そして、その苦難を乗り越えた成功例として挙げられているケニアは「個々の部族の独立を許した」ことによって褒められているのではなく、それら多数の部族をまとめる「民族nation」を形成したことによって褒められています。

この意味で、中国が「個々の民族を独立させる」ことで民族問題を解決するのではなく、「民族差別のまったくない真に平等な民族関係の構築によって中華民族の実態を作り上げる」という方向に進むのが、もっとも平和的で幸せな道だと考えています。

一水会が旧琉球民族との平和的で正常な関係の構築に真剣に努力されていることと同じです。

ちなみに、その趣旨から、このケニアのニエレレ大統領のすぐれたリーダーシップを指摘したポール・コリアー『民主主義がアフリカ経済を殺す』日経BP社、2010年、p.244は「われわれは・・・少数民族の権利はその国民意識の創出の上に成り立つ制度に支えられるという点を見失っていた」と反省しています。

 この趣旨をちょっと視点を変えてヨーロッパを事例に述べると、私はざっと1600年くらいに西ヨーロッパでは「民族」と「国家」がほぼ対応するようになっている。何百年にわたる戦争の結果として、その両者のずれがほぼ解消された、と考えています。ですが、それは逆に言うと、東ヨーロッパではそれができていなかったということをも意味し、それはポーランド国境の大きな変遷、ウクライナの領土の変化の大きさに反映されています。そして、その調整のひとつの過程が今回のウクライナ戦争であると考えています。この戦争はある次元では「ロシアによる国際ルールの逸脱」となりますが、「民族」と「国家」の関係に着目すると、このような理解となるということです。

 最後に、これらのことは私が報告の冒頭で述べたそもそも「民族とは何か」という論点と関わることを付言させていただきます。

討論の中では「民族とは厳然と存在するもの」との前提で皆さんが話しておられましたが、「香港人」や「台湾人」が場合によれば「民族」にもなりうるのと同様、逆に「中華民族」なるまとまりの方が重要だと人々が考えるということもありえます。そして、それを私は基本的には進歩的な現象だと考えているということです。

たとえば、「琉球人」という実態は(政治的軋轢を別にすると)ほぼ消滅していますが、このようにして「民族を超える民族」が新たに形成され続けてきたというのが人類史ではなかったでしょうか。

もちろん、この過程を平和的に進めるためにも「民族差別への反対」がどうしても不可欠、重要となるのですが、その自然な目的は「民族分離」ではなく、大民族による抑圧の抑止による「民族の解消」だと思うという意見です。ご検討いただければ幸いです。


■司会者の感想と質問(矢沢国光) 質問に対する講師の回答(大西広)

(1)大西先生から「民族問題は階級問題だ」といきなり直球を投げ込まれた。大西先生の言う「階級問題」とは、「資本家と労働者の対立」のようだ。2009年ウルムチ暴動の主因となったウイグル人の不満の本質は、漢人による民族差別ではなく、資本家―労働者関係(失業)であったとする。

たしかに、改革開放後の中国では、民間企業は資本家的企業となり、新彊ウイグル自治区に進出した漢人企業とそこで雇用されるウイグル人労働者の矛盾・対立――失業など――がウイグル人「暴動」の主要因になっている、という大西先生の指摘はまちがっていないであろう。

だがしかし、ウイグル族の民族的要求・闘争を「階級問題を隠すもの」と脇に置いて「階級問題」の解決に専念することによって「新彊ウイグル族問題」は解決するのであろうか。

民族問題と階級問題――大西先生によって提起されたこの大きな問題については、9月9日の太田仁樹さんのフォーラムで引き続き論議される。


(2)今回のフォーラムのもう一つの大きな論点は、新中国(中華人民共和国)がなぜ新彊ウイグル族やチベット族の自治権を認めなかったのか、である。

大西先生は、参加者の質問に答えて、「中国共産党は、当初はソ連式の連邦制を考えていたが、新中国成立時の政治協商会議で連邦制は消えて自治区になった、と言う。

経過はその通りであろう(註)が、1922年のソ連邦が認めた「連邦制・自治共和国」が、なぜ1949年の新中国においては「中華人民共和国内の自治区」になったのか?

新中国が新彊ウイグル地域やチベットを中国国家に[連邦ではなく]併合したのは、それが中国王朝のむかしからの考えだったから、と大西先生は言われた。それは半分は当たっているが、それだけではないと思う。

というのは、第一次世界大戦以降の列強の軍事体制は、それ以前に比べて、はるかに強大化し、グローバル化し、恒常化した。資本主義による工業化と国民国家化が軍事体制の強大化・グローバル化の基盤となった。

19世紀半ば、軍事力を地球の裏側まで派遣できたのは多数の軍艦と7つの海を網羅する海軍基地網を有するイギリスだけであった。第一次世界大戦の前後には、ドイツとアメリカがそれに加わった。つづいてソ連と日本。

中国共産党が中華人民共和国を建国したのは、こうした列強のグローバル化した軍事体制が、枢軸国の敗戦を経て、「東西冷戦体制」へと再編成される時期であった。

新生中国は、列強の強化・グローバル化した軍事体制のはざまで、急激な工業化・軍事強国化をともなう主権国家化によって、延命することを強いられた。

チベットと新彊ウイグル地区の国境内への取り込みとその治安は、アメリカ、インド、ソ連等の大国にたいする備えとして不可欠であっただろう。

漢人の入植と建設生産兵団、資源開発、原爆実験が、原住民の意向を考慮することなく強行された。


(3)いくつかの質問

質問① 「不妊手術」にたいするウイグル人の反発には、イスラームの信仰に反する、ということもあるのではないか?「計画出産政策は、医療が遅れていて、子供はアッラーからの授かりものであるとするイスラーム教徒のウイグル人には適しない政策であった」[ムカイダイス『在日ウイグル人が明かすウイグル・ジェノサイド 東トルキスタンの真実』ハート出版2021 24頁]


▲大西

東大の丸川氏などは「不妊手術」が多額の奨励金により本人たちに受け入れられているとの理解を示しており、「ジェノサイド」を主張するウイグル会議の情報は信じない方がよい。「ジェノサイド」は国連人権委員会報告でも事実上否定されている。

ただし、私はそれでもある範囲で強制がなされていると考えており、それは集団就職の場合より高い比率となるのではないかと考えている。

そして、その背景には、漢族の少子化が強制された一方でウイグル族など少数民族の人口がこの間急増したこととそれへの漢族側の反発と論理が政策にそのまま反映されたことがあると考えている。

「子供はアッラーからの授かりもの」との考えは、イスラムにあるとは思うが、その次元では実は農村の漢族民衆の考えとさほど変わらない。ので、こうした宗教的考えを特に強調するのは漢族の側には信仰がないかのように捉えるミスリーディングな考えだと考える。


質問② スライド30の「官僚制」について。

現代中国の美点でもある独特な官僚制度の問題が関わっている事⇒毛沢東が最も問題視したもの。規則の恣意的運用を主に問題とした「国連人権高等弁務官の新疆問題に関する報告」もこの筋で理解できる。(ex.派閥闘争)

大西先生は、毛沢東時代の中国の官僚制について

(ⅰ)目標を決めて上から号令をかければ官僚が競争するので、その目標を達成できる。すばらしい。

(ⅱ)しかし、官僚が自分の成績を上げるために無理やり成果を出そうとして、人民にとって不本意なことをすることもある(規則の恣意的運用)。

(ⅲ)毛沢東は、終生こうした「官僚制」の欠陥を批判し続けた。

のように、述べました。

 これについての疑問︰たしかに「目標を決めて上から号令をかけて」大衆運動として政策を実現するのは、毛沢東が好んで採用した方式。だが、そのもっとも悲惨なけっかが大躍進運藤→大飢餓と文革であった。それ以前の三反五反運動や百花斉放百家争鳴運動も、毛沢東の号令で開始され、摘発対象を地域ごとに何パーセントと割り振ったりした。「目標」も毛沢東の独断で発せられ、党員はその意味を理解できないまま数値目標だけ達成した。

 こうした毛沢東の「独断命令・大衆運動方式」は、専門家の知見と集団討議にもとずく政策決定を排除するもので、官僚制の良さを育てられなかったのではないか。

 大西先生は、政策実現における毛沢東の好んだ「大衆運動方式」をどう評価しておられるのか?そのうえで、あらためて「中国の官僚制」をどう評価しておられるか?


▲大西

矢沢氏によって正確に要約されているように私は中国の官僚制は現在基本的にうまく機能していると考えている。繰り返しとなるが、緑化にしても、貧困の撲滅にしても、コロナに対する対抗にしてもこれなしにあの驚異的な達成はなかった。ただ、こうして官僚たちを動員させることには必ず一部で強制やミス・ジャッジが存在するので、それをどうなくすかという制度も必要で、「規律検査委員会」や「監察委員会」がそれを担当するということとなっている。各級の「監察委員会」は最近設置されたシステムである。ただ、私はこれらの問題が広義の「人権侵害」を構成するものなので、人権弁護士のような存在が活躍する必要があると考えている。このあたりの事情は『季刊経済理論』第59巻第4号、2023年所収の拙稿を参照されたい。ちなみに、私の属する日中友好協会はそうしたグループとも連絡をとりあっている。

しかし、これへの「毛沢東的方法」にも一理あって、それが「大民主」というものであった。私の両親は敗戦後1953年まで中国東北部に残留したが、そこでは毎月幹部が大衆集会の前に立たされ、人民からどこどこで何何をした、と追及される存在であった。よくよく考えると、文革もまたその形式で幹部を打倒している。まさしく「大衆に無限の信頼を置き、その集団力に依拠した幹部の打倒」であり、私の両親はそれに感動して共産主義者になった。

この「大衆運動式」の「大民主」政治は、重慶の薄熙来によって一時的に復活させられ、また公式にも「基層協商」ないし「社会協商」という形で部分的に復活されているものである。私はこの運動を肯定的に評価している。

ただし、問題はこの「大衆運動式」が経済活動に導入された場合で、言うまでもなく、大躍進期の土法炉は機械製大工業を否定した決定的な誤りであったとともに、毛沢東が重点を置いた治水や道路建設・鉄道建設などのインフラ建設には(当時の生産力段階としては)有効であったことを認識することも重要である。


質問③ 中国の官僚制の欠陥にもかかわるが、2016年に新彊ウイグル自治区党書記に就任し2019年に解任された陳全国について。ウイグル人に対する容赦のない殺害、強制収容所での思想改造、親戚制度などは陳全国書記時代に苛烈をきわめた。解任は、その「行き過ぎ」と国際的な人権批判に対する党中央の政策転換ではなかったか。


▲大西

確証はないが、おそらくそう思う。2009年のウルムチ暴動の後、現地幹部が更迭された際には、似たことが解任の理由とされたということである。


■主な質疑

●矢沢国光

毛沢東の「大漢族主義」批判について。これは、ウイグル族やチベット族などの「少数民族」が中国という国家に併合されていることを前提として、少数民族に対する漢族の横暴を戒めているものです。ウイグル族やチベット族が中国への併合に抵抗し、自立を維持したいという要求を持っていたことは、完全に無視されています。『毛沢東選集1-5巻』に入っている「大漢族主義」批判のどれを見てもそうです。

新彊ウイグル族は、1930年代、1940年代に二度にわたって「東トルキスタン共和国」を創設し、挫折したという経験を持っています。また、同じチュルク系のウズベキスタンやカザフスタンがソ連邦の中で「ロシア共和国」などと[制度的には]同等の「共和国」となっていたことも、新彊のウイグル人の多くにとって、「共和国」を当然視することになったと考えられます。


▲大西

1949年10月中華人民共和国成立の時点では、西方の新彊ウイグル族地域やチベットは、まだ人民共和国に入っていません。


●矢沢

中国共産党軍が侵攻して軍事的に制圧した、という形ですね。


▲大西

それは事実ですが、漢人の居住地域も、共産党軍が軍事的に制圧することによって「中国」のエリアを広げた。中国はどこからどこまでか、というのは、毛沢東だけでなく、中国人はみな同じ認識を持っていた。


●矢沢

清朝のとき併合した地域が中国の領土だという認識ですね。


▲大西

そうです。日本が北海道(アイヌの居住地)を占領したときよりずっと古い。中国人にほぼ共有されていた認識です。

当初、中国共産党には「中華連邦共和国」という考えがあったが、1949年9月の政治協商会議で、「中華連邦共和国」という名称は消えて「自治区」制度に変わった(註)。これがよかったかどうか、という次元の話になります。

それから、「東トルキスタン共和国運動が中国への併合を拒否した」というのは、不正確です。

東トルキスタン共和国運動の中心も、共産主義者です。かれらは中華民国――自治区を認めない大漢族主義――に対して闘ったわけです[いわゆる「三区革命」]。中華民国では、「新彊自治区」ではなく「新彊省」となっていて、新彊省の大臣は100パーセント漢族だった。それではだめだ、「自治区にしなければならない」と主張したのが、「東トルキスタン共和国」の運動だった。


(註) 中國人民政治協商会議共同綱領 1949年9月29日

第 VI 章 民族政策

第 50 条 中華人民共和国の各民族は平等であり、団結と相互扶助を実践し、帝国主義と各民族内の人民の公の敵に反​​対し、中華人民共和国を各民族間の友好協力の大家族とする。グループ。大きなナショナリズムと狭いナショナリズムに反対し、民族間の差別、抑圧、およびすべての民族グループの団結を分裂させる行為を禁止します。

第 51 条 少数民族が集中して居住する地域では、民族の地域自治を実施し、民族の人口と地域の規模に応じて各種の民族自治機関を設立する。多様な民族が共存する地域や民族自治区では、各民族が地方政府機関に相当数の代表を置くべきである。

第 52 条 中華人民共和国の領土内のすべての少数民族は、統一された国家軍事制度に従って人民解放軍に参加し、地方人民治安部隊を組織する権利を有する。

第 53 条 すべての少数民族は、話し言葉と書き言葉を開発し、習慣と宗教的信念を維持または改革する自由を有する。人民政府は、あらゆる少数民族の人民が政治、経済、文化、教育の構造を発展させるのを支援すべきである。



●高原

党書記を少数民族にするのはいいが、少数民族に自分たちの国家を作る権利、中国から国家的に分離独立する権利を認めないと話にならない。実際に分離・独立するかどうかは別問題。少数民族自身が決めること。日本においても当然、アイヌや沖縄の分離独立の自由は承認しなくてはならない。それを認めた上で、少数民族の意志が自治であれば、それでいい。


▲大西

今日世界に存在する国家の多くは、多民族国家です。「nation state国民国家」の民族と国家のちがいを調整しているのも事実です。他方、純粋の単一民族国家などというものが[北朝鮮と韓国以外は]ないのも事実です。中国は5千年の歴史のあいだずっと多民族国家であった。中国共産党も毛沢東も、政治協商会議のその他の党派のみなさんも、「国家は多民族である」と思った。

[新彊ウイグル族やチベット族のような]民族の独立を認めるべきだとかは、中国人が言うならともかく、他国の者には言えない。ましてや、日本はかつて「満州人は別の民族だから別の国をつくったらよい」と言って満州国を作り、中国侵略の道具に使った。こうしたことをしてきた過去があり原罪をもった日本人として、論理としての「民族自決」はよいとしても、「民族の独立をすべきだ」とは言えない。


●高原

「民族自決権」というのは、国家として独立すべきだ、ということではなく、多民族国家において民族はいつでも独立する権利がある、ということです。中国が多民族国家として真に民族間の平等を実現しようとするならば、すべての少数民族にたいして独立する権利を認めない限り、多様性も平等性もない、という問題だと思います。

レーニンは、ロシアでそのように対応しました。


▲大西

レーニンのことはわかりませんが、一般論としては、理解できます。たとえばウクライナのドンパス地方とか、台湾の人たちが、自分たちはこのままでは嫌だから独立したい、と主張すれば、国家にはそれに対処する義務がある、ということは理解できます。

ウクライナではドンパス地方でロシア人に対する虐殺があり、国連でもその事実が報告されている。この下でドンパス地方のロシア人が独立したいと考えるに至っている以上、ドンパス地方はウクライナの領土の一部だから認めない、ということはできない。ロシア人が独立を求めるに至ったことについては、ウクライナ人に責任がある。日本の琉球の問題も同じです。

わたしは最近「一水会」に呼ばれて話した。わたしは階級主義で一水会は民族主義だが、ひじょうに共感するところがあった。一水会はアイヌから沖縄人まで含めた「日本民族」をつくりたい。そのために、日本が琉球に対して行ったことの責任をまじめに考えている。真の民族主義はこのようであるべきだ――まず国家の責任を問うべきだ――と考えます。


●矢沢

新彊ウイグル族とチベット族の二つは、中国の50以上の「少数民族」と同列に論じられない。たとえばイスラームを宗教とする「回族」は、居住地は中国各地に散在しており、言語は漢語、生業は農業や商業。民族的ルーツの異なる様々な集団がイスラームによって共通性を獲得して「回族」となった[王柯『多民族国家中国』 岩波新書 2005年]。回族は、漢族の横暴に対する批判はあっても、中国からの独立をのぞむことはない。

 これにたいして、新彊ウイグル族は、イスラームを取り入れるはるか以前から同じ地域に集住し、遊牧を生業とし、文字のあるウイグル語を言語とし、高度な文化を形成してきた。こうした共同体が先にあって、イスラーム宗教はあとから獲得した。こうした千年以上にわたって形成されてきた伝統的な経済社会・歴史・文化・宗教をもつ共同体が「中国」に統合されることによって破壊されることは許せない、というのがウイグル族の「独立」運動であり、中国中央政府から「分離主義」として批判される運動ではないか。

 チベット族も、同様だ。


▲大西

おっしゃることに、100パーセント同意します。

差別しておいて「自分たちの一部だ」などとは言えない。中国には[少数民族に対する]差別が現にあり、差別・抑圧のない状況を作ることが何より大事だと思います。


●倪卉 Niki

質問ではなく、意見です。言い方がきつくて申し訳ありません、中国人として単純に疑問として思います。民族が違うから「独立」するとか言っておられますが、なんでそんな自信持っていらっしゃるかしら?何を根拠にして勝手にこんなことが言えるかしらという疑問を、中国人として持っています。

わたしは戸籍上は漢民族ですが、家族は満州族です。

「民族が違うから独立」というのは、理解できません。中国では、民族が違ってもお互いに理解できています。中国には13億人もいますから、トラブルがあるのは当たり前です。


●高木肇 

中国は、1922年のソ連邦の連邦制に学んでいると思いますが、中国の民族区域自治制度は、ソ連の連邦制とどうちがうのか、おききしたい。


▲大西

中国共産党は、ソ連共産党に学んで当初は、「連邦制」を唱えていました。それが民族区域自治制に変わったのは、先ほど言いましたように、1949年9月の政治協商会議からです。変わった理由の一つは、すでに漢や唐の時代から新彊が中国に含まれ、長らくひとつの歴史を歩んできたという経過にあります。


●河村哲二

 「民族問題は階級問題」ということですが、「国民国家と民族」の問題は解決されていない。マルクスによれば、階級があっても国民経済的総括というのがあって、その上にのる??という考え方です。レーニンは、「国家は暴力装置だ」というが、国民国家は、そうした問題ではない。西欧が国民国家の典型とされるが、西欧は膨大な植民地を抱えていた。ここでは民族の問題が「擬制としての国民国家」では解決されていない。その解決として民族自決・独立があった。国民国家とエスニシティの問題は未解決だ。

 国民国家を作るのがゴールとなれば、中国は解体されることになる。ロシアも同じで、プーチン体制が崩壊して14くらいの共和国が分離独立すれば、ロシアは消滅してしまう。

 「習近平の夢」は、国民国家と民族の問題をどう考えているのか。


▲大西

(1)「中国の夢」に私は否定的です。というのは、「中国の夢」は、正確には「中華民族の偉大な復興」で、これは反毛沢東的です。毛沢東[の中国国家論]のポイントは「過去の中国とは決別した」ということです。1949年以前の「旧中国」にたいする「新中国」です。ところが「中華民族の偉大な復興」というスローガンは、「過去の中国は偉大であった、それに戻ろう」ということで、毛沢東主義とは180度違います。これはナショナリズムです。[図で上向きの「中国化」]

(2)国民国家と民族の関係ですが、中国は、55の少数民族も漢族も、併せて一つの「中華民族」にしようとしている。先ほど話してもらった倪卉Nikiさんは、満州族だが自分は中国人――中華民族――という意識です。大部分の「少数民族」が「中華民族」になりつつあるが、そうでない民族もある。チベット族は最近落ち着いてきているが、新彊ウイグル族や内モンゴルは問題が残っている。「中華民族化」がよいかわるいか、議論が分かれるが、少数民族問題の専門家で習近平政権に批判的な元神戸大学の王柯先生も、「民族識別のようなものはせず、したがって「中華民族」一本でやった方が良かったのではないか」と過去におっしゃっている。



●太田仁樹

 3点について、ご意見をおききしたい。

(1)ソ連と中国の違い スターリン・レーニンの民族問題論

 中国はソ連に倣って「連邦制」を導入した。

 ソ連は1924年、共和国の連邦制を導入した。ただ、「共和国」には格付けの違いでずいぶん不公平があった。ソ連邦を構成するロシア社会主義共和国連邦に所属する共和国もあった。

 こうした格付けの差異は、スターリンが1913年に書いた『マルクス主義と民族問題』にもとずく。スターリンは、そのなかで、民族には、ナロート、ナロードノスチ、ナチオナーリノスチ、ナーチアという発展段階があり、最高の発展段階のナーチアはソビエト連邦の構成国になることができ、連邦からの分離・独立の権利も持つ、とした。 

 スターリンの『マルクス主義と民族問題』は、わりとよくできた本ですが、「民族の定義」等は、ほとんどオーストリアのオットー・バウアーの『民族問題と社会民主主義』という1907年の本を引き継いでいる。

 スターリンは民族問題のエキスパートとして、ソ連邦創設にあたってその青写真をつくった人物です。中国共産党はスターリンの民族理論に学んだと思われる。

(2)毛沢東の言ったこととやったこと

毛沢東が「大漢族主義」批判をしたのは、新彊ウイグル自治区ができた1953年ごろですが、この頃、中国共産党内部でレーニンの民族問題理論が学習された。レーニンは1914年12月に「大ロシア人の民族的ほこりについて」という論文を書いて、少数民族にたいするロシア人の対応を、謙虚であるようにしなさいと、説いた。

毛沢東の「大漢族主義」批判は、レーニンの「大ロシア人」への呼びかけをなぞったのだと思われます。

 大西さんは、「毛沢東に帰れ」といったが、毛沢東の言ったことはよいが、行ったことは別に検討しなければならない。

 (3)スライド20[右図]について

 チベットのところはわかるが、ウイグルのところは、よくわからない。チベットとウイグルはどう違うのか?




▲大西

  (3)スライド20について

 漢民族の労働者とウイグル族の労働者が対立しているような図になっているのは、うまくなかった。ここで言いたいのは、ウイグル族の労働者がウルムチ暴動の中心になっているが、かれらの不満が[民族差別ではなく]失業に対する不満だ、ということです。

 (2)毛沢東の言ったこととやったことのちがいについて

 本来、所収されなければならない「自治地区では党書記もまた少数民族であるべき」との毛沢東の見解が、その後隠されてしまった原因が、鄧小平時代の漢族主義的バイアスによるものなのか、後期、末期の毛沢東自身がその考えを捨てたのかについてはよくわからない。研究課題です。


●太田仁樹

 毛沢東の「大漢族」の「大」は漢族の少数民族にたいする横暴を批判する意味でつかわれている。これにたいして、レーニンの「大ロシア」の「大」は、「小ロシア」(ウクライナ)民族と「大ロシア」民族を区別するための「大」であって、民族的な価値の優劣を意味するものではない。コンスタンチノープルに近いか遠いかを表すものです。ヨーロッパでは「小アジア/大アジア」(アテネからの距離が近いか遠いか)のように大小という言葉を使う習慣があります。


▲大西

(1)ソ連と中国の違い スターリン・レーニンの民族問題論について。

スターリン・レーニンの民族問題論は、それだけ読むと「階級」と無関係のように読めますが、わたしはやはり、マルクス主義の民族問題論は階級問題として理解されるべきだと思います。


●太田仁樹

「左派マルクス主義者」というグループがあって、ローザ・ルクセンブルクとかブハーリンなどです。かれらは、プロレタリア独裁が世界中に実現すれば民族問題は解決されるので、マルクス主義者は階級闘争に専念すればよいと主張した。レーニンはこれに反対して「民族問題は階級闘争に還元できない固有の意味がある」としました。


▲大西

 わたしはやはり階級問題が根本だと思います。階級対立をかくすために民族対立問題が持ち込まれる、ということではないか。だから民族対立を抑止してはじめて、真の階級対立問題に対応できる。階級対立を階級対立としてちゃんと表面化させるためにも民族問題はきれいに解決されるべき----毛沢東の言うように民族抑圧はちゃんと解消されるべきと思います。


●太田

 レーニンも1910年頃までは、民族問題は階級闘争だけで解決できる、としていた。第一次世界大戦がはじまると従来の綱領では民族問題に対応できないことがわかり、勉強しなおした。それが「民族・植民地問題と帝国主義」に関する諸論文です。


●司会(矢沢)

 太田さんには9月9日の世界資本主義フォーラムで、民族問題をオーストリア帝国の崩壊とそれに対するマルクス主義者の対応にまでさかのぼってお話しいただくことになっています。本日の議論の続きは、またその時にできると思います。

 

■終わりの言葉(世界資本主義フォーラム顧問・河村哲二)

 中国の政治的現状を、西方化・毛沢東化・ナショナリズムの三つのベクトルのせめぎあいとして明確に分析していただきました。

 また、現地調査を踏まえて、ウイグル族の現状についての日本や西側の認知バイアスの問題について、的確な議論をしていただいたと思います。

 「階級関係」というおはなしがありましたが、中国の経済は限界に達しているようです。その中で階級対立というか、民衆の不満が先鋭化するのではないか。大西先生の今後の報告に、期待します。

 本日は、ありがとうございました。


■参加者アンケートから 質問への回答(大西)

前田芳弘(聴覚障害教育経験者) 

 これまでの学習の積み重ねが不足していて、毎回よく理解できないでいます。

・マルキストだと立場を明確にして話をしていただいたので話が分かりやすく伺えたように思います。

 ・日本も同様でしたが多数派漢民族の言語を少数派民族に強制する同化主義の言語政策は避けられないのでしょうか。

 ・日本では、日本のアイヌや琉球に対する差別的な同化政策、大東亜共栄圏構想による被占領国への日本語強制などの反省から、手遅れのようだが、少数派に対する言語や文化に対する保護政策がとられています。中国では他国の歴史や反省から学ぼうとしているのでしょうか。

 ・中国では漢民族人口が圧倒的に多く社会的にも優位に立ち支配的であるが、ウイグル族や他の少数民族の母語や文化の尊重がされているのでしょうか。

 ・母語は、とくに、乳幼児期~学童期の子どもにとって重要です。ウイグル語の家族・近隣で育った子供にとって、ウイグル語の使用を制限することは、[さまざまなバイリンガル教育の実践結果からみて]漢語の習得にとっても不利になると考えられます。こうしたことは、配慮されていないのでしょうか。

・漢語を知らなくて不利益にならないような支援政策などがあるのでしょうか。

  

 事務局の矢沢さんが大変だと思いますが、よい勉強の機会になっています。


◆大西

・少数民族言語の保護は全体として弱くなっているという印象です。というのは、毛沢東時代には、申し上げた毛沢東の考え方があったうえに、国有企業・集団企業体制だったので、それぞれの民族が分け隔てなく雇われていたものが、私企業体制となって強い言語を話す民族が一方的に強くなる、そういう流れが強まったからです。

また、高等教育機関への進学での優遇もありましたし、一人っ子政策が採られるようになって以降も一人っ子政策の適用除外(緩和)もありましたが、少数民族と漢民族の言語的条件(たとえば今やすべてのウイグル族の若者は漢語を普通にしゃべれるようになっています)や学歴水準、それに出産動向の共通化の下で、民族別に政策を行うことへの反発が強まっており(普通の言葉で言うと「逆差別だ」となりましょうか)、少数民族を特別視する諸政策は弱くなっています。

この変化の一部には少数民族自身の意向の反映もあります。たとえば、大学進学で特別措置を受けると、そういうものとして世間に見られるので、それを嫌がって漢族になるとか、特別措置自体に反対するとかです。研究会の最中に発言した倪卉さんはその好例で、満州族として登録することもできたが、わざと漢族として登録したものと見られます。アイデンティティーはどちらかと言えば満州族でも、こうした事情で漢族を選択せざるを得ないことに本人たちも実は矛盾を感じています。

・ただし、研究会で申しましたように、現在は内に向かっての漢族主義の強まりも強く、それは明らかに否定的現象です。いくらでもその事例を挙げることはできますが、ここでは省略します。

・学校教育の中で、初等教育では少数民族語での教育が残っているとは言われていますが、実際は漢語オンリーにすごいスピードで変化しているのではないかと私は想像しています。が、考えてみれば、フィリピンの学校教育がすべて英語でなされているようなもので、それにもそれなりの合理性があると私は考えています。少数民族自体がそれを望む状況があると研究会ではいいましたが、そういう現状理解です。

・私はもう28年間もウイグル族と付き合っていますので、弟子として京大時代に受け入れた学生がその後結婚し、子供を持ち、その子供が日本に留学して学生にまでなっているというようなケースもあります。ので、まさに赤ん坊の時代からどう育っていったかを継続的に見ていますが、少なくともウルムチに住むウイグル族は、自然とバイリンガルに育っているということです。

これを一度「どのアイヌ民族の人もどの元琉球民族の人も日本語を自由に操っているのと同じ」と表現しようとしましたが、正確ではありません。日本の場合、完全に「日本語」で統一されているのですが、少なくとも新疆の場合はバイリンガルに育っている、ということです。そして、そうなるには、町中に2言語の看板があり、テレビも2言語でやっており・・・という環境となっているというのが重要です。

上では「フィリピンのように」と書きましたが、どうでしょう、日本国内でインターナショナル・スクールに通う小学生などもいい例ではないでしょうか。彼らは日本語も一方では自由に話すが、もちろん英語もペラペラとなっているからです。要するに、2言語にともに日常的に接せられる環境にあるかどうかということで、モンゴルで小学校からの漢語での教育が問題となっているのは、モンゴルの草原で孤立して暮らす子供達にその環境がないことが摩擦の原因となっているのだと私は考えています。この結果、ウルムチ暴動が起きた2009年頃と違い、現在では若者世代に関する限り、また、内モンゴルの草原地帯でない限り、特に少数民族語を特別扱いすることなくとも、普通に彼らに不利益がないような状態になっているのではないかと想像しています。

なお、そうはいっても前田さんが想定されている視角・聴覚障碍者への特別の措置が必要なことは言うまでもないことだと思います。それがどのようになされているかについての情報はありませんが・・・。


●氏名 高原浩之 [事前に講師に提出]

①「民族問題の本質は階級問題である」(スライドp18)

 これでは、抑圧民族、例えば漢族のプロレタリア階級を、他民族、例えばウイグルに対する抑圧に反対して闘争しなくても社会主義が民族問題を解決する、という立場に立たせる。中国共産党に代表される官僚ブルジョア階級に同調・屈服することになり、社会主義を実現することもできません。レーニンが批判した「帝国主義的経済主義」です。

 民族問題は、階級問題とは別であり、抑圧民族のプロレタリア階級が被抑圧民族の自決権を承認することが、問題解決に最も重要である。しかも、階級問題解決にも有利に働く。

ロシア革命は、レーニン時代には、ツァーリ帝国の国境と領土を少数民族の「牢獄」と批判し、ウクライナなどに対して自決権を認めた(スターリン時代に事実上否定)。

中国革命は、毛沢東時代から、少数民族に対して自治しか認めず、自決権を否定している。少数民族を併合した封建的中華帝国の国境と領土を、「神聖不可侵」に受け継いでいる。民族問題ではロシア革命以下です。中国が、帝国主義と抑圧民族ではなく、植民地と被抑圧民族の立場であったことが原因でしょう。

「『民族融和』を進める」(p18)。こういう「融和」や「自治」で、自決権を否定する。これこそ、漢族によるウイグルやチベットやモンゴルなどの少数民族に対する民族的抑圧がある、大漢族主義がある、その最も重大な証拠です。


・民族自決権は分離・独立の奨励ではない 分離・独立の扇動という反発は抑圧民族の立場

「中華民族」や「日本民族」の名で、ウイグル・チベット・モンゴルなど、琉球・アイヌなどを国家内に囲い込み、抑圧を継続したい。こういう漢族やヤマトの立場と願望です。

中国や日本を多民族が平等に共生する国家とするためには、少数民族に対して、希望すればいつでも国家的に分離・独立できる自由と権利を承認することが、絶対に必要です。


②「日本の民族問題を解決して初めて『大漢族主義』を批判できる」(スライドp6) 肝は台湾と沖縄

 台湾と沖縄が、中国と日本の支配下に入ったのは最近(清朝時代と江戸時代)、また帝国主義戦争に敗北して外国帝国主義に売り渡された、「帝国の狭間」、境遇が似ています。

現在、中国および米国・日本の覇権闘争が激化し、帝国主義戦争の危機が深まっています。焦点は台湾と沖縄。覇権と戦争に反対する闘争の中心になるのは、台湾と沖縄の自己決定権、現状維持=事実上の国家的独立であれ非軍事化=自治であれ、自主、でしょう。日中両国のプロレタリア階級にとって、それぞれに台湾と沖縄の自決権を承認することが、プロレタリア国際主義のカナメでしょう。

 中国は、もう植民地でも社会主義でもない。官僚制国家資本主義と帝国主義に変質・転化した。天安門事件と習近平・全体主義が転換点。遠慮なく批判すべきです。(おわり)


●大塩 剛 (社会主義理論学会会員)

(1)感想:西側が非難する「新疆ウイグルの問題」は、完全なデマであることは、様々な人が指摘しており、私も投稿したことがあります。西側の報道のソースの1つは、反中国派のアドリアン・ゼンツ(AdrianZenz)氏であり、もう一つは反中国の日本ウイグル協会(世界ウイグル協会)です。両者の主張は虚偽と誇張に満ちており、とても学術的な根拠に耐えるものではないのですが、東大教授阿古智子氏やヒューマンライツウオッチなどが引用しているのは困ったことです。


▲大西

ありがとうございます。阿古氏と共同記者会見をしたのは「ヒューマン・ライツ・ナウ」ですが、今、調べてみますとおっしゃっている「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」も同様の立場に立っていますね。

私が思いますのは、彼ら少数民族もまずは貧困から脱却したいと必死で集団就職に応じたりしている。その気持ちや努力を理解せず、ただ批判することが「人権擁護」だと彼らが考えているということです。おっしゃるように困ったものです。ウイグルの知人をたくさん持つ私としては許せません。


(2)質問:少数民族が国家的に分離独立する権利を認める、また、実際に分離独立するか否かは少数民族自身が決める、との議論は問題を含んでいるように思います。

(a)「少数民族」というとき、それは先住民のみという意味でしょうか、移民者又は移植者も含むのでしょうか。

(b)「少数民族」は先住民のみであるとすると、そもそも先住民と移民者の区分けは可能でしょうか。


▲大西

 「少数民族」には「先住民族」以外の人たちもあり得ますので、このご質問は非常に重要です。

日本にとってアイヌ民族や琉球民族の人たちはそれぞれの地の「先住民族」であることは確かですが、歴史の経過で多数おられることとなった在日朝鮮人や新規の在留外国人の人権も非常に重要で、時には同レベルで扱う必要があります。

中国でも延辺朝鮮族自治州の朝鮮族は比較的新しい時代に移住したという話もあります。特に中国は過去の歴史が長々と記録されていて、ウイグル族も9C半ば以前には華北地域やチベット高原北部にいました。特にこの華北の時代は重要で、現在の華北地域のかなりの部分を支配していた――ウイグル族の祖先が支配民族として存在した――ということもあります。これは「各種民族が一体となって過去の中華民族を形成した」という際の重要な歴史でもあります。参考まで。


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