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第一章 原理論としての『資本論』

第一節 唯物史観の成立と社会主義

 一 唯物史観の成立

 

 マルクス主義の三つの源泉として、ふつうには、ドイツの哲学とフランスの社会主義とイギリスの経済学があげられている。だが、この三つの源泉は、それぞれ平行的にマルクス主義のうちにとりこまれ、批判的に綜合されていったものではない。マルクスが直接に出発したのは、ヘーゲルを頂点とするドイツの古典哲学であり、その批判的克服の過程でフランスの社会主義とイギリスの古典経済学がとりいれられたのであった。しかも、その直接の成果は、さしあたり、唯物史観の成立とそれにもとづく社会主義理論であった。したがって、マルクス主義の性格を理解するためには、まずわれわれは、ヘーゲルにおいてその最高表現に達したドイツ古典哲学の歴史的地位を知っておかなければならない。

 ドイツ古典哲学が成立したのは、18世紀末から19世紀初頭にかけての時期であるが、ちょうどこの時期に、フランスは、1789年の大革命からナポレオン戦争へとつづくブルジョア政治革命の真只中にあった。また、17世紀にすでに政治革命をおえていたイギリスは、ブルジョア経済革命――産業革命の真只中にあった。だが、おくれたドイツでは、産業革命はもちろんのこと政治革命さえもまだ歴史の現実の日程にはのぼっていなかった。おくれたドイツでは、それらの準備過程が現実的実践の領域においてではなく、ようやく観念の領域において、すなわち、哲学の領域において進展しつつあったにとどまった。つまり、18世紀末から19世紀初頭というこの時期に、イギリス人は経済革命に、フランス人は政治革命に、ドイツ人は哲学革命にそれぞれ従事していたわけであって、その理論的表現がイギリスの古典経済学、フランスの政治理論、ドイツの古典哲学にほかならなかった。したがってわれわれは、ドイツ古典哲学の歴史的地位を知るためには、それとイギリスの古典経済学、フランスの政治理論との対応関係を明確にしておかなければならない。

 イギリスの古典経済学は、スミスによって基礎を据えられ、リカードによって統一的な体系へと仕上げられた。そしてその根本は、資本主義的商品生産を人類の真に自由な究極の自然的生産形態とみなし、それを支配する経済法則を、労働によってその大いさを決定された商品価値が労賃、利潤、地代に分割されていく自然的秩序として、解明するという点にあった。そしてここからふりかえってかれらは、封建制度や初期資本主義の重商主義的統制を、こうした自然的秩序を制約し生産の発展を阻害する人為的制限として批判したのであるが、これはかれらにつぎのような歴史観をもたらすことになった。すなわち、人類は、原始の自由な自然的商品経済から出発して、封建制、重商主義等々の種々な人為的疎外の時代をへたのち、資本主義的商品経済として、いまやふたたび自由な永遠の経済へと復帰する、という歴史観である。これは、明らかに、ひとつの歴史的疎外論、弁証法的経済史観であった。

 これにたいし、ブルジョア政治革命に従事しつつあったフランス人は、イギリス人が経済の言葉でかたったこのおなじ歴史観を、政治の言葉で表現した。かれらは、ブルジョア的私有財産の自由や平等――商品売買者としての個人の自由や平等――を、人類に本源的な自然権とみなし、そこからふりかえって封建的特権や王権の専制を批判し、いまや人類は、こうした自然権をもった自由な個人の結合からなる共和国に復帰すべきであるとしたのであった。これもまた、明らかに、ひとつの歴史的疎外論、弁証法的政治史観ないし社会史観だといってよいであろう。

 ヘーゲル弁証法においてその完成形態に達したドイツ古典哲学の観念弁証法――弁証法的精神史観――は、イギリス人やフランス人が経済や政治の言葉で語ったブルジョア史観――ブルジョア弁証法――のドイツ版――哲学版――にほかならなかった。かれらは、イギリス人やフランス人が自由な商品経済や自由な共和国への復帰の過程としてえがいた歴史を、疎外された意識からの自由な自己意識への復帰の過程としてえがきだし、それによって来るべきブルジョア社会を理想化したわけである。だが、それにしても、イギリスやフランスにはるかにおくれて19世紀初頭にこうしたイデオロギー革命をむかえたドイツでは、それは、精緻かつ体系的であった。17世紀のイギリスではそれはまだ宗教闘争の外皮をまとっていたのであり、18世紀のフランスではすでに宗教闘争の外皮をぬぎすてていたとはいえ、まだ素朴かつ直載であった。

 ヘーゲルの没後、ヘーゲル学派は分裂しはじめた。かれらのうちの急進民主主義派は、ヘーゲルの観念的弁証法を逆手にとって、それを、ドイツ専制主義のイデオロギー的付属物であった宗教にたいする批判へとさしむけた。そしてそこからさらにすすんで、かれらの一部は、ヘーゲルの観念的弁証法それ自体をも、神学と結合するものとして、批判しはじめた。フォイエルバッハの現実的人間主義――人間主義的唯物論――の立場がそれにほかならない。フォイエルバッハの意義は、ヘーゲルの弁証法的精神史観の唯物論的顛倒を要求したという点にあった。だが、フォイエルバッハ自身は、ヘーゲルの精神にたいし、歴史的な活動的主体としての人間ではなく、自然的人間――類的存在としての人間――を対置したにとどまった。そしてフォイエルバッハがとどまったところからマルクスは出発した。

 だが、マルクスによるヘーゲル弁証法の唯物論的顛倒は、ドイツ古典哲学の弁証法的精神史観を、単純にイギリス人やフランス人の立場――ブルジョア的経済やブルジョア的政治体制をもって人類の自由の実現とする商品経済史観や政治史観――にひきもどすことにはならなかった。すでにヘーゲル左派自身が、ブルジョア自由主義の代弁者ではなく、ブルジョア的理念を逆手にとってブルジョア体制の現実を批判する小ブルジョア急進民主主義者のドイツ版――哲学版――にほかならなかったからであり、また当時すでに「フランスの社会主義や共産主義の淡く哲学めいて潤色された反響」がドイツにもひびきわたっていたからであり、さらにまた、マルクス自身、「ライン新聞」の主筆として、「森林盗伐および土地所有の分割」や「モーゼル地方の農民の状態」等々の資本主義的商品経済の発展がひきおこした固有の社会問題に「口だしせざるをえない」立場にあったからである。

 ことに森林盗伐問題は、ヘーゲル法哲学の立場からは解決しえない問題をマルクスにつきつけた。それは、旧来の領主的、農村共同体的土地保有関係が商品経済によって分解され、ブルジョア的私有財産へと転化していく過程から、すなわち、資本の原始的蓄積過程の進展から生ずるところの、私有財産権による共同体的慣習権の否定という問題であった。ブルジョア的自然権である私有財産権の立場からすれば、貧民が山林から薪をひろうという共同体的自然権は、当然に、窃盗行為となったわけである。こうしていまやマルクスは、ブルジョア的私有財産そのものにたいする根底的な歴史的批判へとつきすすまざるをえないことになった。そして、ときあたかもフランスでは、すでにプルードンが、『財産とはなにか』において、まだ自由な個人の労働による財産の取得というブルジョア私有財産の理念の立場からであったとはいえ、現実のブルジョア私有財産が他人の労働の盗略にほかならぬことを告発していたのである。

 こうしてマルクスは、現存体制にたいする哲学的、イデオロギー的批判から、したがってヘーゲル左派から訣別して、ブルジョア私有財産にたいする経済学的批判へとすすむことになった。そしてイギリスの古典経済学の成果がとりいれられたのは、さしあたりこの過程においてであった。それをかれは、資本主義的商品生産の合理化の手段からその体制的批判の武器へと転化したわけである。1844年に書かれた『経済学・哲学手稿』は、そこへの大きな過程を示している。そこでかれは、スミス、リカードの経済学を利用して、ブルジョア社会の経済的疎外、ブルジョア的私有財産の根元を、労働・生産過程の疎外にもとめようとして奮闘している。とはいえ、ここではまだマルクスは、ブルジョア生産の内的関連の理解については、古典経済学の価値論、労賃、利潤、地代論の限界をこえてはいなかった。

 こうして、結局、マルクスによるドイツ古典哲学の弁証法的精神史観の唯物論的顛倒は、ブルジョア生産をもって歴史の到達点とするイギリス・ブルジョアジーの経済史観には結果せず、ブルジョア生産そのものをもひとつの歴史的過渡段階――社会主義ないし共産主義への歴史的過渡段階――とするあらたな経済史観へと、すなわち、社会主義的唯物史観へと、結果することとなった。

 すなわち、「人間はかれらの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係に、すなわち、かれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上にひとつの法律的および政治的上部構造がそびえたち、そしてそれに一定の社会的意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する」「社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発達諸形態からその桎梏に転化する。そのとき社会革命の時期がはじまる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激にくつがえる」。「大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的および近代ブルジョア的生産様式が経済的社会構成のあいつぐ諸時期としてしめされる。ブルジョア的生産関係は、社会的生産関係の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味でなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。

 しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。したがってこの社会構成をもって人類の前史は終る」、というのが、それである。

 

 二 唯物史観の科学的限界

 

 以上にみたところから明らかなように、マルクスの唯物史観は、資本主義にたいする社会主義的批判と一体的に成立したものであり、むしろそこからふりかえって、種々な経済的社会構成体の歴史的推移を生産力と生産関係の矛盾という観点から、洞察したものにほかならなかった。

 だが、同時にまた、資本主義にたいするこの社会主義的批判は、まだ資本主義の科学的分析――マルクス独自の科学的分析――を基礎にしたものではなかった。それはまだ、ブルジョア生産を永遠の自然的生産とみなすイギリスの古典経済学の成果、その労働価値論、労賃、利潤、地代論をそのまま武器として利用した資本主義批判にすぎなかった。したがってまた、それを基礎にする唯物史観も、まだ真に科学によって基礎づけられたものとはいえなかった。

 こうした唯物史観や社会主義理論の限界は、この時期のマルクスの仕事の最大の成果である『共産党宣言』のうちに、端的に示されている。

 まず第一に、『宣言』では、近代的生産力の発達がブルジョア的生産関係の限界を超えており、したがっていまやブルジョア的生産関係が強力的に爆破されねばならなくなっているということが、なんら経済学的に解明されないで、たんにそれを事実的に示す証拠として恐慌が外面的にひきあいにだされているにすぎない。

 だが、周期的恐慌がただちに、ブルジョア的生産関係の限界を近代的生産力が超えたことの証拠であるとすれば、資本主義は、その確立と同時に歴史的生命を終えたものとされなければならぬであろう。歴史的には周期的恐慌は、産業革命による近代的資本主義生産の確立と同時に出現するからである。

 第二に、『宣言』では、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの階級闘争の歴史的任務――あらゆる階級支配と階級搾取の廃止という普遍的、人間的使命――が、プロレタリアートは資本の発展とともに発達する階級であること、またかれらはすべてのブルジョア的財産の所有から排除されている近代社会の最下層階級であり、したがってみずからを解放するためには社会の全上層構造を爆破しなければならないことに、もとめられている。

 だが、プロレタリアート革命の普遍性の根拠がそうした点にあるとすれば、おなじくブルジョア的富の所有から排除されているルンペン・プロレタリアートから近代プロレタリアートを区別する根本はどこにあるのか。『宣言』は両者の区別を直感してはいるが、ただルンペン・プロレタリアートはかれらの生活環境全体からみて容易に反動的陰謀に買収されるであろうとのべているだけで、両者の区別を解明してはいない。プロレタリアートの階級闘争の普遍的・人間的使命の根拠を明らかにするためには、それを『宣言』は、資本主義的生産過程の内部におけるプロレタリアートの階級的地位から説明しなければならなかったのであるが、そのためには、まず『宣言』は、「労働」の商品化から区別して「労働力」の商品化を明確にし、これを通じて資本が、あらゆる社会の普遍的実体をなす労働生産過程を、資本の価値形成増殖過程として包摂していることを明らかにしていなければならなかった。だが「労働の商品化」と「労働力の商品化」とを同一視する古典経済学的限界は、こうした解明を『宣言』から排除したわけである。

 以上の点を総括すれば、われわれは結論として次のように主張しなければならないであろう。

 資本主義にたいする社会主義的批判と社会体制の歴史的推移についての唯物史観的洞察が科学的に基礎づけられるためには、そしてそれによってヘーゲルの弁証法的精神史観や古典経済学の商品経済史観が真に止揚されるためには、1850年代以降のロンドンでのマルクスの経済学的研究と『資本論』体系の成立をまたねばならなかったのであって、1840年代のかれの唯物史観はそれにたいする導きの糸として役立ったにとどまる、と。

 

 

第二節 「資本論」体系の成立

 

 一 『資本論』体系の成立

 

 ロンドンでのながい経済学研究ののち、マルクスがようやく『資本論』の草稿にとりかかったのは、1857年であった。『経済学批判綱要』として近年刊行された準備ノートがそれであって、その最初の部分をまとめて刊行されたのが1859年の『経済学批判』であった。

 ついでマルクスがとりかかったのは、1860年から1863年にかけて書きあげられた『経済学批判』の続稿であって、その一部をぬきだして編集されたのが、『剰余価値学説史』にほかならない。

 これにつづくのは、1863年から1865年に書きあげられた『資本論』第三巻の草稿であって、これからマルクスの死後エンゲルスによって現行『資本論』の第三巻が編集された。さらにこれにつづくのは、『資本論』第一巻の草稿であって、1867年にこれから『資本論』第一巻がマルクス自身の手によって刊行された。そして、『資本論』という表題と現行『資本論』の基本構成が最終的に確定したのは、この第三巻の草稿以降においてであった。

 ところで、通常の解説書で『資本論』の方法としてもちだされているのは、『経済学批判序説』にのべられている次のような方法である。すなわち「表象された具体的なもの」から「分析的」に下向してえられた「一般的抽象的諸規定」から出発して、そこから上向的に展開しつつ、「具体的なもの」を「多くの諸規定の総括」として思考のなかで再生産する、というのがそれであって、経済学的体系のそうした出発点をなす「一般的抽象的諸規定」として、「交換価値」、「貨幣」、「労働」、「分業」等々があげられている。

 だが、ここにのべられている方法は、1857-58年の『経済学批判綱要』の『序説』の方法なのであって、必ずしも現行『資本論』体系の方法ではない。しかも、この『序説』の方法は、マルクス独自の方法というよりも、むしろイギリス古典経済学に伝統的な方法なのであって、ここではまだマルクスは、一応それを前提にしたうえで、それにかれ独自の解釈をもりこもうとしていたにすぎない。じっさいまた、この『序説』の方法は、次のような篇別構成プランに具体化されていたのである。①一般的抽象的諸規定、②ブルジョア社会の内的編成を表現する諸カテゴリー、資本、賃労働、土地所有、③国家の形態におけるブルジョア社会の総括、④生産の国際的関係、国際的分業、国際的交換、⑤世界市場と恐慌。

 このプランにいう「一般的抽象的諸規定」というのは、「交換価値」、「貨幣」、「労働」、「分業」等々の諸規定のことであって、ここでマルクスは、リカードにしたがい、まず労働による商品価値の決定を明らかにしたのち、その商品価値が労賃、利潤、地代に分割されていくものとして、「ブルジョア社会の内的編成」を解明し、それを基礎にして、国家、外国貿易、世界市場へと上向しようとしていたものとみてよいであろう。そして明らかにこれは、リカードによって仕上げられた古典経済学の体系――といってもそれはヘーゲルの『法哲学』の市民社会と国家の部分によって色づけされてはいるが――にほかならなかった。

 そこで以下われわれは簡単に、マルクスがこうした『序説』の方法とプランから出発して、どのような経緯をへて、現行『資本論』の体系構成に達したかをみておかなければならない。それによって古典経済学から区別された『資本論』独自の方法が浮びあがってくるであろうからである。

 まず1857-58年の草稿についていえば、そこでのマルクスの成果は、①ブルジョア社会の「直接的な現存」を「商品世界」として設定し、その諸規定――商品の二要因、貨幣諸形態、資本――の展開をとおして、そして最後に労働力商品の特殊規定を媒介にして、この「商品世界」の背後にかくされている資本主義的生産の内的関連を開示するという方法を確立したこと、②ついでこの資本主義的生産の内的関連を、「資本の生産過程」における資本と賃労働の関係を基軸とするところの剰余価値の生産過程――資本の価値形成増殖過程――として解明したこと、にあった。すなわち、この草稿ではじめて、マルクス経済学の基軸をなす剰余価値論ができあがったのであり、この剰余価値論に先行してそれを開示するところの商品、貨幣、資本の諸形態の展開論ができあがったのである。

 したがってここから、次の1860-63年の草稿におけるマルクスの中心的課題は、この剰余価値論――資本主義的生産の内的関連論――を基礎にして、剰余価値および資本自身の具体的諸形態を展開し、それによって資本主義的生産の具体的全体としての編成を明らかにすることにむけられることとなった。『剰余価値学説史』における「平均利潤と生産価格」、「差額地代と絶対地代」等々の展開が、それにほかならない。

 そしてこうした『剰余価値学説史』の成果を積極的に確認しそれをあらためて体系的に展開したものが、次の六三―六五年の草稿、すなわち『資本論』第三巻「資本主義的生産の総過程」の草稿にほかならない。マルクスの経済学体系の全体に『資本』という表題がつけられ、それが、第一巻「資本の生産過程」、第二巻「資本の流通過程」、第三巻「資本主義的生産の総過程」の三巻から構成され、さらにその補巻として「学説史」がつけられるという構成が明確に成立したのも、じつにこの1863-65年の草稿においてであった。

『資本論』体系成立の以上のような経緯からみれば、その体系構成の性格やそれに具体的に示されている方法が、『序説』のそれと本質的に異なることは、いまや明白であろう。

 われわれは、次にこの点をさらにたちいって確認しておかなければならない。

 

 二 『資本論』体系の内容構成

 

 『資本論』は、右にもふれたように、「資本の生産過程」、「資本の流通過程」、「資本主義的生産の総過程」の三巻からなりたっている。だが、その内容構成は、この篇別構成とは必ずしも一致していない。

 すなわち、まず第一に「資本の生産過程」の考察は、じっさいには、第一巻の冒頭からはじまっているわけではなく、その第三篇「絶対的剰余価値の生産」からはじまっており、そのまえに、「商品と貨幣」および「貨幣の資本への転化」の二篇がおかれている。そしてこの冒頭の二篇は、商品、貨幣、資本の諸規定の展開、およびそれをとおしての「資本の生産過程」論の開示にあてられている。

 第二に、固有の意味での「資本の流通過程」の考察にあてられているのは、第二巻の第一篇と第二篇だけであって、第三篇は、「社会的総資本の再生産と流通」の考察にあてられており、内容的にはそれは、第一巻第三篇以降の「資本の生産過程」の考察と、第二巻第一、二篇の「資本の流通過程」の考察との統一となっている。つまり、第一巻第三篇から第二巻第三篇にいたる箇所は、ひとつのまとまった内容領域をかたちづくっており、その三つの部分――資本の生産過程、資本の流通過程、資本の再生産過程――の全体で、剰余価値論を基軸とする資本主義的生産の内的関連を解明するものとなっている。

 そして第三に、この資本主義的生産の内的関連の解明にたいして、その具体的・現実的関連を解明するものとして、第三巻の「資本主義的生産の総過程」論がおかれているのである。

 これが、形式上の篇別構成とは若干異なるところの『資本論』の三つの内容領域にほかならない。そして、この三つの内容領域の特有な関連によって、『資本論』は、有機的全体性をなすひとつの統一的な体系をかたちづくっているのである。

 したがってわれわれは、古典経済学の方法から区別された、したがってまたそれの容認にほかならぬ『序説』の方法から区別された『資本論』体系独自の方法を知るためには、この三つの内容領域の関連の仕方を追求しなければならない。

 まず、マルクスにしたがって、すでに確立し自己の固有の基礎のうえに運動しつつある資本主義的生産を、経済学の対象として前提しよう。

 そのばあいには、資本主義的生産のいっさいの要因、生活資料も生産手段も労働力も土地もすべて商品化していること、したがって商品形態こそは、資本主義的生産の細胞形態であり、資本主義的生産それ自体が直接的には――へーゲル的な表現を借りれば即自的には――「厖大な商品集積」――「商品世界」――として現存することは、自明であろう。

 したがって、このばあいには、商品、貨幣、資本の諸形態の展開をとおして資本主義的生産の内的関連を開示するという『資本論』の方法は、資本主義的生産の直接的現存としての商品世界、それを普遍的に包摂する表皮的形態としての商品形態から出発して、それの諸契機の下向的分析により、その背後にかくされている資本主義的生産の内的関連を開示するという方法を意味せざるをえないであろう。つまり、叙述形式のうえからは規定の上向的展開としてあらわれるものが、実質的には、資本主義的生産の表皮的関係から本質的関係への下向的分析を意味せざるをえないわけである。そしてこれが、『資本論』体系の第一の内容領域の性格なのである。そしてこうした方法を、さきにもみたようにマルクスは、五七―五八年の草稿において経済学の歴史上はじめて確立したのであった。

 そこで、次に問題になるのは第二の内容領域の性格であるが、第一領域の性格が右にみた点にあるとすれば、それはもはやあらためて指摘するまでもないであろう。すなわちそれは、商品世界の流通諸形態の背後にかくされている資本主義的生産の内的関連――本質的関係――を積極的に解明し、それによって資本主義的生産が独自の――歴史的な社会的生産として確立する根拠を明らかにするものとなっているのであって、そうした本質的関係とは、あらゆる社会の普遍的実体をなす労働生産過程の資本の価値形成増殖過程としての定立、それを基軸とする資本と賃労働の階級関係、資本の流通過程を媒介にするその社会的再生産の関係、等々にほかならない。そしてまさにこの部分こそ、古典経済学から『資本論』体系を区別するその独自の内容領域をかたちづくっているのであって、1857-58年の草稿の画時代的な意義は、さきにもみたように、その基本点を――というのはその体系的な確立は1860-63年の草稿にぞくするから――解明したという点にあったわけである。

 これにたいし、第三の内容領域をなす『資本論』第三巻は、ふたたびまた資本主義的生産の表面的な関係にたちかえり、それをこんどは、右の第二の領域でその内容を明らかにされた資本主義的生産の本質的関係がみずからを貫徹し発現する具体的、現実的諸形態として、展開するものとなっているとみてよいであろう。平均利潤、その一部の商業利潤への転化、利子、地代等々の剰余価値の具体的諸形態、および産業資本、商人資本、貨幣資本等々の資本の具体的諸形態がそれであって、これらの諸形態の展開により、同時に第三巻は、資本主義的生産の特殊歴史的な社会的生産としての全体編成を明らかにするものとなっているのである。

 以上にみた三点を総括すれば、資本主義的生産を一般的に包摂する商品流通世界の表面的な諸関連の分析から出発して、その背後にかくされている資本主義的生産の本質的諸関連を開示し、ついでここからふたたび表面的な諸関連にたちかえって、こんどはそれをこの本質的諸関連の具体的発現形態として設定するというのが、『資本論』体系の三つの内容領域の関連のうちに示されているその特徴的な方法だということになろう。そしてこの方法は、価値法則の解明という観点からみれば、まず第一の領域でそれを商品世界の流通法則として解明し、ついで第二の領域でそれを資本主義的生産の内的法則として解明し、最後に第三の領域でそれを資本主義的生産の現実の運動法則として解明し、この三つの解明の全体によって価値法則をその特殊歴史的な全体性において解明するという方法だとみることもできよう。こうした三つの内容領域の立体的な関連が、『資本論』体系に特徴的な方法なのであって、ここからふりかえって、古典経済学の体系、およびその容認にほかならぬ『序説』の体系をみるならば、それはきわめて平板かつ平面的な体系――労働によってその大きさを決定される商品価値が労賃、利潤、地代に分割されるというだけの体系――だといわなければならない。

 以上でわれわれは、イギリスの古典経済学から『資本論』を鋭く区別するその独自の体系構成の方法を知った。それゆえ、いまやわれわれは、それがなにを意味するかを、さらにたちいって確認しておかなければならない。

 

 

 

 

<補論>『資本論』の弁証法と唯物史観の弁証法

 

   

 

 弁証法体系は、ひとつの活動的な主体――全内容を自己の所産として開示しそれを自己のうちに総括するような活動的主体――を前提にする。弁証法体系とは、そうした活動的主体の自己開示と自己総括の叙説として、はじめて弁証法体系をなすわけである。

 ヘーゲル弁証法にあっては、そうした活動的主体は、「精神」であった。ヘーゲルは全自然史的過程や全歴史的発展を「精神」の自己開示と自己総括の過程として叙述しようとしたわけである。

 そこで次の問題が生ずる。

 『資本論』が弁証法的体系をなすとすれば、ヘーゲル体系の「精神」に当る活動的主体はなにか、と。

 『資本論』というその表題に端的に示されているように、いうまでもなくそれは、資本そのものであった。つまり、『資本論』は、資本の自己開示と自己総括の叙説として、弁証法体系をなすのであって、全体系を貫徹する活動的主体とは、資本そのものにほかならない。

 

   二

 

 『資本論』は、形式的には、次の三つの巻から構成されている。

 第一巻「資本の生産過程」

 第二巻「資本の流通過程」

 第三巻「資本制生産の総過程」

 だが、その実質的内容からみれば、次の三つの領域から構成されている。

 第一領域、第一巻第一篇「商品と貨幣」および第二篇「貨幣の資本への転化」

 第二領域、第一巻第三篇「絶対的剰余価値の生産」から第二巻第三篇「社会的総資本の再生産」

 第三領域、第三巻「資本制生産の総過程」

 このうち第二領域は、資本の即自としての商品から出発して、商品、貨幣、資本の諸形態の展開をとおして、資本が自己の内容を資本主義的生産として開示していく過程の叙説に、あてられている。第二領域は、そのようにして開示された資本主義的生産の内的開運の考察が主題となっている。

 第三領域は、資本および剰余価値の具体的諸形態の展開、資本制生産の具体的全体――有機的全体――としての編成の考察にあてられているが、それはまた同時に、こうした資本制生産の具体的諸関連の資本のうちへの総括の叙説ともなっている。

 

   三

 

 ところで、あらゆる社会の普遍的実体をなすものは、いうまでもなく、労働・生産過程である。したがって、この労働生産過程の社会的主体をなす人間(労働生産主体としての人間)こそ、あらゆる社会の普遍的な真の活動的主体にほかならない。そして資本は、その活動の特定の歴史的産物――歴史的疎外態にすぎない。しかるに、右にみた『資本論』の弁証法にあっては、この歴史的疎外態――資本の方が過程の活動的主体としてあらわれ、労働生産過程の主体は資本の被措定者、被定立者としてあらわれるにすぎない。

 したがって、『資本論』体系の出発点にあらわれるのは、全過程の活動的主体をなす資本の即自としての商品、即自的資本としての商品であって労働生産過程や労働生産主体ではない。

 労働生産過程や労働生産主体は、『資本論』体系では、商品、貨幣、資本の諸形態の展開をとおして、またそれらの諸形態による労働力の商品としての定立を媒介にして、資本の過程の内部にとりこまれ「包摂」されるものとして、いいかえれば、資本の価値形成増殖過程の一側面――一契機として、はじめて考察の対象となる。

 じっさい『資本論』は、第一巻第三篇「絶対的剰余価値の生産」の冒頭において、はじめて、労働生産過程を労働生産過程一般として考察し、ついでそれが、資本の下では、資本家による労働力商品の消費過程をなすものとして、その価値形成増殖過程としての側面の考察へとはいっているのである。

 

   四

 

 こうした点で、『資本論』の弁証法は、唯物史観の「弁証法」とは本質的に異なっている。

 唯物史観にあっては、生産関係の歴史的推移を規定し、それを通してさらに社会全体の歴史的推移を規定するものは、生産力の発展である。

 つまり、唯物史観にあっては、全歴史的推移を決定する活動的主体は、生産力なのである。

 ところで、この生産力とはなにかといえば、それは人間が労働主体として自然に働きかけ自然を自己にとっての有用物へと変形するその力能、労働生産主体としての人間の力能にほかならない。より適確にいえば、一定の力能をもって自然に働きかけそれを我物化しつつある労働生産過程の主体としての人間それ自身にほかならない。

 したがって、唯物史観にあっては、全歴史的発展の活動的主体をなすもの、ヘーゲル弁証法の「精神」にあたるものは、自己の生産力能を発展させつつある人間そのもの、労働生産主体としての人間自身だということになる。

 つまり、唯物史観と『資本論』とでは、過程の弁証法的主体がまったく顛倒しているわけである。

 『資本論』では、資本という生産関係の特定の歴史的形態が弁証法的主体としてあらわれ、労働生産主体は、その被措定者としてあらわれるのに反し、唯物史観では、労働生産主体の方が、過程の活動的主体としてあらわれ、生産関係は、その被措定者としてあらわれるからである。

 

   五

 

 ここから次の問題がでてくる。

 マルクスの社会主義――プロレタリア社会主義――の科学的基礎をなすのは、『資本論』の弁証法なのか、それとも、唯物史観の弁証法なのか、と。

 一見したところ、それは、労働生産主体を活動的主体とする唯物史観であるようにみえる。

 だが事実はそうではない。

 マルクスが唯物史観に到達したのは、1840年代の中期であるが、この時期のマルクスの社会主義は、まだ多くの点で初期社会主義の痕跡を残していた。

 こうした痕跡は、1848年2月に刊行された『共産党宣言』にさえもみいだされる。

 まず第一に、『宣言』では、プロレタリア階級闘争の普遍的人間的な世界史的使命――階級支配と階級搾取の終局的廃止――は、次の根拠から説明されている。

 「プロレタリアは財産をもっていない」、「プロレタリアは、自分のこれまでの取得様式を廃止し、それとともにこれまでのあらゆる取得様式を廃止しないでは、社会的生産力を掌握することができない」、「現代社会の最下層であるプロレタリアートは、公的社会を構成している全上層構造をふきとばさないかぎり、起きあがることも背をのばすこともできない」。

 だが、これは、プロレタリアがルンペン・プロレタリアと共通にもつ性格にすぎない。では、なぜプロレタリアのみが革命的であって、ルンペン・プロレタリアは革命的でないのか。これに対する、『宣言』の回答は、しかしたんにルンペン・プロレタリアは「かれらの生活上の地位全体からみて容易に反動的陰謀に買収されるであろう」というにすぎない。

 「財産をもたない」というのは、生産過程の内部における。プロレタリアの階級的地位の規定ではなく、生産過程の外部における、すなわち流通世界――プロレタリアも形式的にはブルジョアと平等な商品売買者としてあらわれる通常の市民社会――におけるプロレタリアの存在形態の規定にすぎない。ここではブルジョアとプロレタリアの階級対立は、有産者と無産庶民大衆の対立という抽象的かつ無内容な対立へと溶解しているのである。そしてブルジョア反革命――ことに最近のファシズム反革命の歴史がくりかえし証明しているように、こうした市民的対立や、有産者にたいする無産庶民大衆としてのプロレタリアの憤激が、容易に反動のデマゴギーのエジキにさらされるのは、ルンペン・プロレタリアのばあいと異なるところはないのである。

 要するに、まだ『宣言』では、プロレタリア階級闘争の歴史的任務が、資本の生産過程の内部におけるブルジョアとプロレタリアの対立から根拠づけられていないわけである。

 

   六

 

 第二に、『宣言』では、かつての封建的生産関係と同様、ブルジョア的生産関係もまたすでに「近代的生産力」の発達の障害になっているとされ、それを現実的にしめす証拠として「周期的にくりかえす」「商業恐慌」がひきあいにだされている。だが、恐慌がなぜ、生産力がブルジョア的生産関係の限界をこえて発達したことの証拠をなすかは、あるいは逆にいえば、なぜブルジョア生産では生産力と生産関係の衝突が恐慌となって発現するかは、なんら解明されていない。

 そしてもちろんこれは、生産力を活動的主体とする唯物史観の弁証法からただちにでてくるものではない。そのためには、なによりもまず、ブルジョア的生産関係とそれに包摂されている「近代的生産力」の科学的分析――経済学的分析が必要なのである。

 要するに、ここではまだマルクスは、恐慌を、ブルジョア的生産関係の限界をこえて生産力が発達したことの事実的証拠として、直感的に洞察しているにすぎない。

 そしてこの点に、1840年代の唯物史観の弁証法の限界が端的に示されている。

 それは、ブルジョア的生産の限界のこうした直感的洞察から出発して、したがってその没落の彼方に人類の真に自由な共同的生産――社会主義的生産を――想定した上で、そこからふりかえって先行の歴史的発展段階をこの共同生産への発展過程として位置づけたひとつの歴史観――歴史的ヴィジョン――にほかならなかった。

 こうした歴史観は、しかし、なにも社会主義者にのみ固有の歴史観ではない。中世的残存物や初期資本主義の重商主義的規制と闘いつつあったブルジョアジーもまた、そうした歴史観を武器としてそれらと闘ったのであった。

 たとえば、A・スミスにおいては、ブルジョア的生産は人類の真に自由な自然的生産様式とされており、先行の歴史的発展は、この自由な生産への人類の復帰過程として叙述されている。だからこそかれにあっては、ブルジョア生産は歴史の出発点と到着点において二度あらわれるのである。そして歴史を「精神」の自己疎外とその自己疎外からの自由な自己への復帰過程として叙述したヘーゲルの弁証法は、こうしたイギリス・ブルジョアジーの経済史観のドイツ版――哲学版――にほかならなかった。

 ところで、初期社会主義者の共通の特徴は、こうしたブルジョア史観――ブルジョア弁証法――を逆手にとって、それを武器としてブルジョアジーにさしむけた点にある。

 たとえば、イギリスのリカード派社会主義者はブルジョア生産の理念である自由な私的生産者の等労働量交換を武器として、現実のブルジョア的搾取――資本と賃労働の「不等価交換」――を批判したのであり、またフランスのプルードン派社会主義者は、自由な労働による財産の取得というブルジョア的私有財産の理念を逆手にとって、現実のブルジョア財産が他人の労働の盗略にほかならぬことを宣告したのである。そして、ヘーゲル弁証法をブルジョア批判に転用した青年ヘーゲル派の社会主義者――ドイツの「真正社会主義者」――は、いうまでもなく、そのドイツ版――哲学版――にほかならなかった。

 1840年代中期のマルクス、エンゲルスの唯物史観は、こうした初期社会主義者たちの思考様式の批判をとおして確立されたものであるが、それはまだ基本的には、ブルジョア史観や、そのプロレタリア的補足物にほかならぬ初期社会主義理論の延長線上の産物であった。

 弁証法が科学となるためには、そしてプロレタリア社会主義が科学によって基礎づけられるためには、弁証法はなによりもまず資本の弁証法とならねばならなかったわけである。

 

   七

 

 こうしていまや、資本を活動的主体とする『資本論』の弁証法の綱領的意義が浮かび上がってくる。

 さきにもみたように、『資本論』体系の出発点と到達点に登場するのは、労働生産過程や労働生産主体一般ではなく、資本の即自としての商品であり、資本の普遍としての商品である。

 だが、プロレタリア社会主義は、こうした逆転した弁証法によって、はじめて科学的に基礎づけられているのである。

 以下、二、三の問題にかぎって、この点を簡単に確認しておこう。

 社会主義を科学的に基礎づけるためには、抽象的な人類のあるべき姿からではなく、具体的歴史的に存在するプロレタリア階級と、ブルジョアジーにたいするかれらの階級闘争から出発しなければならない。では、プロレタリアとはなにか。

 被搾取労働階級という規定は、近代プロレタリアをして近代プロレタリア階級たらしめている歴史的特質ではない。それは、かれらが中世の農奴や古代の奴隷と共通にもっている規定だからである。

 奴隷や農奴から近代プロレタリア階級を区別する特質――歴史的規定性――は、かれらが商品形態をとおしてそうした被搾取労働者階級として設定されているところにある。

 したがって、プロレタリア階級の具体的歴史的実在から出発しようとすれば、われわれはまず、その歴史的規定性から、すなわち、商品形態の分析から出発しなければならない。

 そしてまさにそれこそ、資本を活動的主体とする『資本論』の弁証法がはじめて確立した方法なのであった。

 

   八

 

 第二に「資本論」は、商品、貨幣、資本の形態的展開をとおして、したがってそれらの諸形態による労働力の商品としての設定を媒介にして、資本の生産過程において、はじめて労働生産過程を労働生産過程一般として考察し、したがってまた、労働生産主体を労働生産主体一般として、考察した。

 だが、じつは、これこそがプロレタリア階級闘争の世界史的任務――普遍的人間的任務――を科学的に基礎づける真の方法にほかならない。

 資本制生産の歴史的意義は直接生産者と生産手段とのあいだの旧来のいっさいの自然発生的結合様式――共同体的、慣習的、宗教的等々のいっさいの結合様式――を破壊し、かれらの労働力を商品化し、それを通じて労働力と生産手段との結合を実現するところにある。労働力と生産手段とはこのような資本の活動によって、歴史上はじめて労働力および生産手段一般として純粋に結合されるのであって、まさにこの意味において、労働生産過程一般というのは、資本の活動によって作りだされた歴史的抽象にほかならない。

 それゆえ、右の『資本論』の方法は、労働生産過程とその主体を純粋に考察する唯一の歴史的な科学的方法なのである。

 しかも、こうした資本の生産過程の内部にあっては、ブルジョアとプロレタリアの関係は、もはや流通世界でのような売買関係ではない。

 生産過程の内部における生産手段に対するプロレタリアの関係は、労働の対象的素材にたいする労働主体一般の関係でしかありえない。したがってここでは、プロレタリアに対するブルジョアの関係は、労働者生産主体一般に対する非生産者の支配と搾取の関係でしかありえない。

 逆にいえば、ここでは、資本関係――ブルジョア的生産関係――は、生産主体にたいする非生産者の支配と搾取の関係一般に純粋に溶解しているのであり、したがって、階級支配と階級搾取の関係は、ここで、その最も純粋な、最後の究極の関係へと高まっているのである。

 それゆえ、ここでは、ブルジョアに対するプロレタリアの闘争は、非生産者の支配と搾取に対する生産主体一般の普遍的人間的な闘争でしかありえない。

 プロレタリア階級闘争の普遍的人間的性格は、まさにこの点にある。かれらの勝利によってブルジョ的生産関係が廃棄されるならば、その結果として生ずるのは、もはや特定の歴史的生産関係をもたぬ労働生産過程一般以外にはなく、また、現実に社会的生産の主体となった労働生産主体一般の登場以外にはありえない。そしてそれが、社会主義なのである。

 ふりかえっていえば、『共産党宣言』の限界は、プロレタリア階級闘争の普遍性の根拠を、資本の生産過程の内部におけるこうしたプロレタリアの存在にではなく、プロレタリアがブルジョア的富の所有から排除されていること、かれらの貧困と窮乏にもとめた点にあったわけである。

 

   九

 

 第三に「資本論』はその総過程論において、生産過程を包摂した資本が剰余価値および資本自身の具体的諸形態の展開をとおして、生産を具体的全体として編成しそれを自己のうちに総括していく過程を、叙述している。

 そしてじつは、これこそが、ブルジョア的生産関係の歴史的限界をその全体性において全面的に明らかにする方法なのである。

 これにたいし『宣言』では、近代的生産力の発達が、ブルジョア的生産関係の限界をこえた証拠として、たんに恐慌が外面的にひきあいにだされていたにすぎなかった。

 だが、そうとすれば、資本制生産はその確立の瞬間に歴史的生命を了えたものとされねばならぬであろう。歴史的には、周期的恐慌は、資本制生産の確立とともに出現するからである。

 周期的産業恐慌が資本制生産の確立とともに出現するという事実は、むしろ反対に、それが生産を統制しそれを全体的に編成する資本に特有の方法にほかならぬことをものがたっているのである。

 そしてブルジョア生産の歴史的限界は、そうした特殊な方法による以外には資本は自己の生産を統制し編成する方法をもたぬという点にあるのである。

 そしてまた、『資本論』第三巻は、必ずしも全面的に完成されているわけではないが、生産を統制し編成するそうした資本に特有な方法を、その全体性において、したがってその歴史的制限性において、全面的に叙述するものとなっているのである。

 

 

第三節 原理論としての『資本論』

 

 一 『資本論』体系と世界資本主義の運動過程

 

 さて、三つの内容領域の特有な関連のうちに示される『資本論』体系の方法がなにを意味するかを追求するためには、しかしそのまえに、われわれは、経済学の対象をなす現実の資本主義それ自体がどのような性格のものであるかを知っておかなければならない。

 まず最初から明らかなことは、自給自足的な国民的資本主義といったものは現実に存在しないということであろう。じっさい資本主義は、各国の資本主義国民経済や後進従属諸国の半商品経済的な農業経済をその有機的構成部分とする世界体系としてのみ実在するのであり、まさにそのようなものとして、世界資本主義をかたちづくっているのである。

 ところで、現実の資本主義がこうした世界資本主義としてのみ実在するとすれば、そこからただちに生じてくる問題は、それにたいし三つの内容領域の特有な関連からなる『資本論』体系がどのような関係にたつか、という問題であろう。この問題をわれわれは、まず順序として、マルクスが眼前においていた現実の資本主義、すなわち、19世紀中期のイギリスを中心にする自由主義時代の資本主義について、考えてみなければならない。

 当時の資本主義世界経済は、先進資本主義国としてのイギリス、後進資本主義国としてのフランス、アメリカ、ドイツ等々の諸国、およびその他の半商品経済的な農業諸国からなりたっていたわけであるが、それがこうした種々な経済的構成体の雑然とした寄せ集めではなく、それらを有機的構成部分とする世界的な運動体をなすという事実をもっとも端的に示していたのは、イギリスを中心とする規則的な国際的景気循環過程――世界市場恐慌を媒介とする景気の国際的な交替過程――であった。そしてこのことは、次のような機構がこうした世界市場的過程の内部に存在することをものがたるものであった。

 すなわち、運動の世界的中心国が存在していて、①個々の国々の資本主義的国民経済や半商品経済的農業経済の世界市場的連関がこの中心国の中心産業部門の内的関連――資本と賃労働の関係を基軸とする価値増殖関係――のうちに集約され還元されるという機構であり、また逆に、②この内的関連によって右の世界市場的連関が統制され、それを通じてさらに個々の国々の資本主義的国民経済や半商品経済的農業経済の景気動向が規制されるという機構である。そしてまさにそうした機構こそ、具体的には、①世界市場的連関がその中心的な担手をなすイギリス世界商業とそれを金融するロンドン貨幣市場とのあいだの金融的連関関係のうちに集約され、これがさらにこのロンドン貨幣市場とイギリス綿工業とのあいだの金融的連関関係を媒介にして、イギリス綿工業内部の資本主義的価値増殖関係のうちに還元されるという機構であり、また逆に、②このおなじ連関を反対にたどって、イギリス綿工業の内部的な資本主義的価値増殖関係が世界市場景気の動向を統制するという機構なのであった。

 このことは、われわれに次のことをものがたっている。すなわち、世界資本主義としての現実の資本主義そのものが、商品、貨幣、資本の流通諸形態、およびそれによる労働力商品化の関係をとおして、その世界市場的連関を中心国の中心産業部門の内的価値増殖関係のうちに集約し還元しており、またこのおなじ流通諸形態をとおして、その世界市場的連関を右の内的価値増殖関係によって統一的に規制し統制しているということ、これである。

 そしてこのこと自体は、さらに次のことをわれわれにものがたっている。すなわち、われわれがさきにみた三つの内容領域の特有な関連からなる『資本論』体系は、こうした世界資本主義の現実の運動機構の内的叙述以外のなにものでもない、ということ、これである。

 総括すれば、

 『資本論』体系の第一領域=商品、貨幣、資本の流通諸形態の展開による資本主義的生産の内的関連の開示=世界貿易、世界商業、世界金融の連関関係を媒介にする、世界市場的連関の、その資本主義的生産基軸の内的関連への集約還元。

 『資本論』体系の第二領域=資本主義的生産の内的関連の解明=世界市場的連関の基軸的産業部門の資本主義的価値増殖関係の解明。

 『資本論』体系の第三領域=資本主義的生産の内的関連によるその「総過程」の統制、そのための資本および剰余価値の具体的諸形態の展開=基軸的産業部門の資本主義的価値増殖関係による世界金融、世界商業、世界買易の統制、およびそれによる全世界市場的連関、世界市場景気の統制。〔注〕

〔注〕ここではわれわれは、全体としての世界資本主義ないしその世界的中心国の資本主義に即して、『資本論』体系との対応関係を問題にしたのであるが、これを、世界的中心国ではなく、その局地的中心国の国民的資本主義に即して問題にすれば、次のようになるであろう。

 すなわち、世界市場的連関とそれにたいする自国資本主義の国民的連関を、それ自身の基軸的産業部門の内的価値増殖関係のうちに集約還元し、その内的価値増殖関係を通じて、逆に世界市場的連関にたいする自国資本主義の国民的配置を確定する、という機構。あるいは、景気循環に即していえば、世界循環を、自国資本主義の国民循環としてうけとめ、また逆にそれをとおして、この国民循環が世界循環の有機的一環を形成するその特殊的配置を確定する、という機構。つまり、世界資本主義の有機的構成部分としてのこうした一国資本主義の国民的機構と、『資本論』体系との対応関係の問題である。そしてまた、『資本論』体系の三つの内容領域の特有な関連は、こうした一国資本主義の国民的機構をも、そのうちに反映しうることはいうまでもない。

 

 二 『資本論』体系と世界資本主義の歴史的展開

 

 これまでのところわれわれは、現実の資本主義を、マルクスが直接に対象とした資本主義、19世紀中期の世界資本主義に限定して、それと『資本論』体系との関係を問題としてきた。

 だが、この自由主義段階の資本主義は、資本主義発展の一歴史的局面にすぎない。たしかにそれは、自己の生産的基礎を確立しその自立的運動――世界的景気循環――を展開しつつある資本主義、そしてまさにそのようなものとして成長発展しつつある資本主義ではある。だが、現実の資本主義は、歴史的形成体であり、そうした世界的運動体として歴史的に生成し、確立発展し、変質転化する歴史的過程の全体として、現実の資本主義なのである。だから、いまやわれわれは、問題を発展させて、こうした歴史的過程の全体としての現実の資本主義と、三つの内容領域の関連からなる『資本論』体系との関係を考えてみなければならない。

 ところで、このばあいにもまた、最初から明らかなことは、資本主義の歴史的生成は、自給自足的な国民的資本主義としての生成ではなく、世界資本主義としての生成であって、その直接の成果こそ、われわれがさきにみた、イギリス綿工業をその生産基軸として世界循環をくりかえしつつある自由主義時代の世界資本主義であった、ということである。だからこそまた、世界市場は、たんに、すでに確立した資本主義的生産の固有の「生活環境」および「生存基盤」としてあらわれるばかりでなく、同時にまた、その固有の出発点および歴史的前提としてもあらわれるのであって、『資本論』も指摘しているとおり、16世紀における「世界商業と世界市場」の成立こそは、「資本の近代的生活史を開始」したのであった。

 じっさい、世界商業とそれにたいする世界金融を活動的担手とする世界市場の形成と発展、この世界市場の商業的征覇をめぐるヨーロッパ諸国民の闘争、この闘争をとおしての最初の近代的国民国家――絶対王制――の成立、こうした過程をとおしての土地の封建的領有および農村共同体的保有関係の商品経済的私有関係への再編成、これによる生産手段からの直接生産者の分離、そして最後に世界市場の商業的征覇国イギリスにおける産業革命と資本主義的生産基軸の形成、――これが「資本の近代的生活史」の内容であった。そしてこの「資本の近代的生活史」は、われわれに次のことをものがたっているのである。

 すなわち、さきにわれわれは、自由主義時代の資本主義が、商品、貨幣、資本の流通諸形態の関連をとおして、そしてまたこれらのおなじ諸形態による労働力の商品化を媒介にして、世界市場的連関をその資本主義的生産基軸の内的価値増殖関係のうちに集約し還元するという関係をみたのであるが、資本主義は、このおなじ関係をもって歴史的にも生成し確立する、ということこれである。商品、貨幣、資本の流通諸形態は、たんに、すでに確立した資本主義の世界連関の内的関連への集約還元の諸形態であるばかりでなく、そのことによって同時にまた、そうした世界体系としての資本主義の歴史的生成と確立の諸形態ともなっているわけである。そしていうまでもなくこのことは、『資本論』体系の第一の領域――商品、貨幣、資本の形態的展開による資本主義的生産の内的関連の開示――が、たんに前者の内的叙述をなすばかりでなく、同時にそのことによって、後者の内的叙述をもなす、ということを意味する。

 このおなじ点を、しかしわれわれは、『資本論』体系の第二の領域――資本主義的生産の内的関連の解明――についてくりかえす必要はないであろう。というのは、このようにして世界市場的過程の内部に歴史的に成立した資本主義的生産基軸は、同時にまた、自由主義時代の世界資本主義の運動基軸にほかならないからである。

 したがって、われわれになお残る問題は、世界資本主義の自由主義段階からの帝国主義段階への移行――産業資本からの金融資本への世界史的移行――にたいする『資本論』体系の第三領域――第三巻「資本主義的生産の総過程」――の関係を考えてみることだけとなった。

 この問題をこんどは『資本論』の側から考えてみよう。

 『資本論』第三巻は、さきにもふれたように、資本主義的生産の内的価値増殖関係が諸資本相互の競争関係をとおして利潤を平均利潤として規制するという関係、および、この関係がさらに利潤と利子との対抗関係、産業資本と貨幣資本との対抗関係へと発展し、好況――恐慌――不況という循環を必然にするという関係を、中心内容としている。そしてこれによって、価値法則の資本主義的生産の運動法則としての定立、および資本主義的生産そのものの具体的全体としての編成を、解明している。だが、これ以上の剰余価値および資本自身の具体的展開については、第三巻は、ほとんどなにも展開していず、たんに「株式資本」についての、すなわち利潤と利子を利子規定のうちに統一し、それをとおしてまた、産業資本と貨幣資本とを貨幣資本の規定のうちに統一するより高次な資本形態としての株式資本についての、断片的な素描がみられるにすぎない。

 だが、『資本論』第三巻は、その性格――剰余価値の利潤としての定立、およびその利潤の利潤と利子への分化を主内容とせざるをえないというその性格――からいって、こうしたあらたな資本形態――資本の株式資本化――の展開を要請せざるをえない。しかるに、それをわれわれが積極的に展開しそれによって『資本論』第三巻を完結させようとすると、そこからひとつのあらたな問題が生ずることになる。というのは、この利潤と利子との統一、産業資本と貨幣資本の統一は、両者の現実の統一による資本のあらたな運動形態の展開ではなく、たんに、利潤を利子率によって資本還元し産業資本に貨幣資本の形態を擬制すること、つまり両者の擬制的統一以外にはなりえようがなく、したがって、資本の最後の最高の完成が擬制的完成となり、現実には、利潤と利子との対抗運動によって媒介される価値法則の貫徹とそれによる資本主義的生産の均衡的、全体的編成の否定とならざるをえないからである。

 この点を確認しておいて、われわれはふたたび現実の資本主義にかえろう。

 帝国主義段階の経済的基礎をなすものは、いうまでもなく、金融独占資本の成立にほかならないが、その金融資本は、産業資本の株式資本化、それを利用する産業資本の集中合併、そこから生ずる産業資本と銀行資本の独占的融合、それによる資本主義的生産の独占的分断と支配を根本としており、世界的には、資本主義的生産基軸のイギリス、ドイツ、アメリカへの分裂、世界市場の独占的分割を主内容としてあらわれざるをえない。つまり、現実的にも、金融資本は、資本の最後の最高の形態であるにもかかわらず、資本主義的生産と世界市場の独占的分断となり、自由主義時代のイギリスを中心とする国際景気循環機構とそれによる資本主義世界体制の均衡的編成の破壊とならざるをえない。自由主義時代には、資本主義の世界体制の矛盾は、世界恐慌となって発現し、世界的に恐慌――不況の過程で周期的に解決されたわけであるが、帝国主義時代には、それは、もはやたんなる世界恐慌としてではなく、むしろ帝国主義対立として発現し、それによって帝国主義世界戦争を必然にすることとなったわけであって、それは、資本主義がその矛盾――資本主義的生産関係と生産力の矛盾――を、もはや、自己の生産様式の限界内では解決しえなくなったということの終局的表現であった。

 このことは、われわれに次のことをものがたっている。

 すなわち、『資本論』体系の第三の領域――第三巻「資本主義的生産の総過程」――をわれわれが株式資本の展開によって補足し完結させようとするならば、それは、産業資本の金融資本への世界史的推移の内的叙述とならざるをえない、ということ、これである。

 かくて、いまやわれわれは、全体を総括して、次のように主張しなければならない。

 『資本論』体系は、その三つの内容領域の特有な関連によって、歴史的形成体としての現実の資本主義をその全体性において、すなわち、その世界史的な生成、確立発展、変質転化において、内的に叙述するものとなっている、と。

 そして『資本論』体系のまさにこの性格が、資本主義の世界史的推移の具体的歴史的分析――世界資本主義分析――にたいし、『資本論』をその原理的解明――いわゆる原理論――として、位置づけるのである、と。

 

  

 

 さて、以上のような『資本論』体系の性格を確認しておいて、次にわれわれは、本書の第一篇「『資本論』と資本主義」についてのわれわれの叙述計画の説明にうつろう。

 われわれは、本書では、『資本論』体系の全内容の展開にではなく、価値法則の資本主義的生産の内的法則としての論証、およびその現実の運動法則としての展開に、力点をおき、その他の部分は、かなり大胆に省略した。

 したがって、本書の篇別構成は、『資本論』体系の三つの領域とは厳密に対応しない。

 第二章「商品、貨幣、資本」は、『資本論』体系の第一の領域に対応する。

 第三章「資本主義的生産と価値法則」は、『資本論』体系の第二の領域に対応するが、資本の流通過程論と資本蓄積論とが省かれている。ただし、後者は、第五章で、景気循環論と一緒にして展開されている。この章の力点は、したがって、価値増殖過程の解明にある。

 第四章以下の三つの章は、『資本論』体系の第三の領域、すなわち、第三巻「資本主義的生産の総過程」に対応する。そのうち第四章「価値法則貫徹の具体的諸形態」は、平均利潤、地代、利子の展開にあてられている。

 本来ならば、この利子論のなかで、景気循環論が展開さるべきであるが、それをわれわれは、資本蓄積論と一緒にして、第五章で、まとめて展開することにした。

 第六章「株式資本と資本主義の歴史的限界」は、『資本論』では未完のままのこされている株式資本を展開し、それが歴史的にはなにを意味するかを補足的に考察することにあてられている。

 

■宇野理論と原理論の方法

 

 <宇野理論の功績>

■A■『資本論』が原理論だという考えをうちだしたのは、宇野(弘蔵)さんだろう。

■B■宇野さんはどこからそういう考えをうちだしたのか。

■A■直接のきっかけは例の日本資本主義論争だ。講座派も労農派も、ともに、『資本論』にえがかれているような資本主義のイメージを直接の基準にして、日本が半封建的であるか、資本主義的であるかを争った。宇野さんとしては、この両方に不満で、「理論」と日本資本主義論とのあいだにもうひとつ媒介がいるのではないかと考えた。そしてこのばあい、宇野さんはたまたま東北大学で経済政策論の講義をうけもつことになった。それを宇野さんは、ヒルファディングの『金融資本論』のなかの金融資本の経済政策というところを基礎にしてやった。この部分は、『金融資本論』のなかでも比較的できのよいところで、そこでヒルファディングは、資本主義の世界史的発展段階の推移やそれにたいする各国資本主義の地位に応じて資本の経済政策を論じている。こういうところから宇野さんは、資本主義の世界史的発展段階の区分という考えを学び、そこからまたレーニンの『帝国主義論』を帝国主義段階論として再確認したのだろう。そしてそれを媒介にして日本資本主義分析にむかうべきだと考えたのだろう。

 こうした点を整理すれば、経済学研究は、『資本論』のような理論体系と、資本主義の世界史的発展段階論と、日本資本主義分析のような個別的具体的分析とにわけねばならぬという宇野さんの方法になるのではないか。

■C■だいたいそういってよいだろう。宇野さん自身は、原理論をどう性格づけているのか。

■A■宇野さんが依拠しているのは『資本論』の序文だ。そこには、物理学者は、撹乱的要素を排除して自然過程を純粋に研究する、資本主義の研究にもそれとおなじ手続きが必要だという意味のことが書いてある。また、地代論の緒論にもそれとおなじ趣旨のことが書いてある。農業でも資本主義が純粋に確立したものとして、地代論を展開しなければならぬというのがそれだ。

 宇野さんは、こうした『資本論』の考え方の歴史的根拠を反省してみた。純粋化の傾向は、自由主義時代のイギリスにみられるが、帝国主義段階になるとそれが逆転し、資本主義が古い要素と結託するというのだ。そこから宇野さんは、自由主義段階のイギリスの傾向に即して純粋の資本主義社会を想定し、それを理論的に再生産するのが原理論だとしたわけだ。経済学が不純な要因をすてて純粋の資本主義社会を想定するのは、経済学者の勝手な抽象ではなく、歴史的抽象だと宇野さんが強調するのは、こういう意味だろう。

■C■では、段階論の方はどうか。

■F■宇野さんによれば、資本主義の歴史的発展は、資本主義の内部要因だけの作用によっておこるのではなく、他の不純な要因や政治過程との相互作用によっておこる。この相互作用の歴史的推移に即して、資本主義発展の各時期の特徴を、それもこの特徴を典型的に代表する代表国をとって、タイプ的に解明するというのが、宇野さんの段階論だ。そしてこのばあい、宇野さんは、資本の蓄積様式に主眼をおいて、重商主義段階、自由主義段階、帝国主義段階の経済的基礎を、それぞれ、商人資本的蓄積、産業資本的蓄積、金融資本的蓄積の三つにタイプ分けしている。

■D■では、そういう宇野さんの方法――経済学研究を原理論、段階論、個別具体的現状分析に分けるという宇野さんの方法のメリットは、どこにあるのか。

■E■従来の日本資本主義分析の水準をぬくようなあたらしい見地を準備したということは明白だ。世界史的発展段階をふまえて日本資本主義分析をやる。これによってはじめてレーニンの『帝国主義論』やヒルファディングの『金融資本論』を日本資本主義分析に生かす方法が確立した。

■F■理論の方からいえば、『資本論』が原理論だという点を明確にすることによって、『資本論』を理論体系として首尾一貫的に完成しなければならぬという要請を明らかにした。そしてまた宇野さん自身もある程度までそういう仕事をしたといってよいだろう。『資本論』にはいっていた爽雑物が大きくとりのぞかれたし、体系的整理もすすんだ。

■G■『資本論』が原理論として明確にされることによって、『帝国主義論』も段階論として明確にされ、ヒルファディングやレーニンにはいっていた爽雑物もかなり整理されたとみてよいのではないか。

■H■社会主義の科学的基礎づけという点で、宇野さんのはたした役割も大きい。従来はそれは唯物史観にもとめられていた。それにたいし宇野さんは、唯物史観も社会主義も原理論によって科学的に基礎づけられるものとした。また、理論から実践にどう接近するかという方法についても……。

■A■宇野さんが資本主義研究の段階を原理論、段階論、現状分析の三つに分けたということは、われわれが社会主義にどう接近するかという方法についても展望をあたえたとみてよいだろう。

 原理論によって直接根拠づけられるのは、社会主義への原則的展望、いわゆる最大限綱領ないし原則綱領がそれだ。

 これにたいし段階論、ことに帝国主義段階論になると、たんに社会主義への原則的展望というのではなく、社会主義革命が世界史的にどういうかたちで提起されるかという問題にたいして基本的な展望をあたえることになるのではないか。つまりそれは、社会主義の原則綱領にたいしてではなく、社会主義への革命戦略、ことに世界革命戦略に関連するといってよいだろう。

 これにたいし、宇野さんのいう現状分析を一国資本主義分析ととれば、それは、そうした世界革命戦略の一環として一国革命戦略をどう具体的に設定するかという問題に関連する。

 要するに、資本主義を科学的に研究するための方法論と、資本主義を実践的に打倒するための方法論とのあいだには、必ずしも直接の対応関係ではないが、密接不可分の対応関係があるといってよいだろう。

■C■そういうことは、もともと日本資本主義論争がコミンテルンの日本テーゼにたいする賛否をめぐってなされたという点からいっても、宇野さんの問題意識のなかにあったのではないか。

■B■だいたいそんなところで宇野さんの積極面を確認しておいて、こんどは消極面を検討してみよう。宇野さんがなお未解決のままでわれわれに残した問題はなにか。

 

 <宇野理論の限界>

■E■原理論、段階論、現状分析の区別は強調されているが、その連関をどう設定するかという問題をわれわれに残している。それが方法論上の根本問題だ。

■A■その問題を考えることになると、あらためて原理論の性格が問題になってくる。原理論の性格の規定の仕方によって、段階論、現状分析にたいする原理論の位置づけがきまってくるからだ。

■F■そのばあい問題になってくるのは、原理論の純粋性をどう考えるかだ。それを宇野さんは不純な要因を捨てて純粋の資本主義を想定するというところにもとめた。だから、宇野さんの原理論は、いわば、純粋資本主義社会のモデル設定となった。そうなれば、現実の資本主義そのものを対象にしてその世界史的発展段階をタイプ分けする段階論と、原理論が分離するのは当然だ。だからこそ、両者の関連は、純粋モデルを物指しにして、各発展段階のタイプ的特徴を確定するというだけの関係とならざるをえないのだ。

■A■だいたいそういってよいだろう。しかしわれわれは、宇野さんの純粋の資本主義の設定の仕方にもうひとつの面があることを忘れてはならない。

■C■それは、例の外国貿易の抽象の仕方の問題か。

■A■そうだ。宇野さんは外国貿易を原理論から抽象するばあい、不純な要因を捨てるという抽象とは異なった抽象をおこなっている。またじっさいそうせざるをえない。外国貿易ないし世界市場は、資本主義に固有の存立条件だからだ。かりに自由主義時代のイギリスに国内の不純な非資本主義的要素を排除する傾向があったにしても、その不純な要素を捨てるという抽象とおなじ抽象によって、外国貿易や世界市場を抽象することはできない。

■B■宇野さんによれば、資本主義は、社会と社会とのあいだを商品交換でつなぐそのおなじ原理をもって、労働力を商品化し、社会の内部をとらえている。だから、外国貿易の原理と国内資本主義生産の原理とを質的に区別する必要はない。だから外国貿易は原理論から抽象しうるというのが、そのばあいの宇野さんの抽象方法だ。

■A■それを理論的に表現すればこうだ。

 資本主義は、商品、貨幣、資本の流通形態をとおして対外関係を処理し、他の社会と接触している。またそのおなじ流通形態をもって労働力を包摂し生産過程を統制している。だから外国貿易を抽象しうるということだ。

 それをさらにいいかえれば、資本主義は、商品、貨幣、資本の流通形態をとおして、対外関係を国内関係に還元し内面化しているということだ。

 そしてそうした外国貿易の抽象の仕方なら、古典経済学もじっさいにはやっていた。たとえば、リカードは、外国貿易の問題を国内生活資料の価格の高低の問題に、それをさらに労賃問題に、そして結局は国内剰余価値率の問題に、帰着させている。

■C■そうすると、宇野さんの純粋の資本主義の設定の仕方に二通りあるわけか。

■A■そうだ。そしてそれはマルクスにもあった。商品経済がもともと共同体と共同体のあいだから発生するということをはじめて強調したのはマルクスだからだ。資本主義は、このあいだの原理によって共同体の内部を処理しているわけだ。

 宇野さんは、この両方を、つまり不純な要素を捨てるという抽象と対外関係を内面化するという抽象とを、『資本論』からとりだすことによって、われわれにその選択をせまっているといってよいだろう。もっとも、宇野さん自身の頭のなかでは、この二つはおなじことらしいが。

■G■内面化するという抽象の方をとったら、どういうちがいが生ずるか。

■A■まず第一に、かりに国内に不純な要素が残っていても、それを捨てることにはならない。対外関係と同様、資本主義的生産はその不純な要素と、商品、貨幣、資本の流通形態をとおして接触するからだ。それを捨てるのでなくて、資本主義的生産の価値増殖関係のうちに内面化するということになる。そして原理論における商品、貨幣、資本の流通形態の展開は、そういう現実の資本主義の対外面なり国内の不純な要素の内面化の機構を、その機構面に即して叙述することになる。

■G■そうなると原理論と段階論との関係が、捨てるという抽象を使ったばあいと、ちがってくるわけか。

■A■そうだ。原理論の対象は、もはや、不純な要素を捨てることから想定された純粋の資本主義社会ではありえなくなる。外国貿易ももち国内に不純な要因も残した現実の資本主義そのものだということになる。そして現実の資本主義とは、世界体制として歴史的に生成し、確立発展し、変質転化する資本主義のことだ。

 したがって、原理論の対象も、段階論の対象も基本的には同じだということになり、両者の相違は、同じ対象の解明の仕方の相違だけだということになる。

 つまり、原理論は、現実の資本主義のいわば機構面だけを、その生成、確立、発展において内面的に叙述するのにたいし、段階論は、そのおなじ資本主義を、その具体的歴史的な段階的推移に即して分析し叙述することになるといってよいだろう。

■G■そのばあいには、段階論自身も、宇野さんのいう段階論とはちがってくるのではないか。

■A■そうだ。もはやそれは、たんに、資本主義の純粋モデルを物指にしてその発展段階のタイプ的特徴を確定することではありえなくなってくる。むしろ、段階から段階への歴史的推移の必然性の解明が中心問題になってくる。

 宇野さんのばあいには、そういう必然性の解明が段階論から追放されているといってよいであろう。

 それは、資本主義の純粋性を主として不純な要素の排除の傾向にもとめ、そこに原理論成立の根拠をもとめたことと関連する。ここから、資本主義の純粋性と自立性は、原理論の想定する資本主義にのみ存在することになっている。資本主義の歴史的発展は、資本主義自身の内的必然性によってではなく、それと不純な要素や政治過程との相互作用によって生ずるということになると、段階的推移の必然性による解明は排除されざるをえない。

 純粋性といい、自立性といい、必然性といっても、それはおなじ内容の異なったいいまわしにすぎない。純粋性とは、自己自身の内的要因だけによって動くということであり、それが自立性であり、内的必然性にほかならぬからである。

 したがって、われわれが原理論成立の根拠をなす資本主義の純粋性を、商品・貨幣・資本の流通形態による不純要因の商品流通関係への内面化と、そこからの労働力商品を媒介にする価値増殖関係への内面化にもとめることになると、そのおなじ理由によって、われわれはまた、段階論の中心問題を、段階的推移の必然性の解明におかざるをえなくなる。段階論の対象をなす資本主義もまた、そういう不純な要因を内面化するという意味での純粋性なら、したがってまた自立性と必然性なら、これをもっているということになるからだ。

 したがって、ここからふりかえって、もう一度さっきの原理論と段階論の関連の問題にかえれば、両者の相違は、おなじ現実の資本主義――世界資本主義――の歴史的推移の必然性を、その抽象的な内的様相において叙述するか、その具体的歴史的な発現の様相において叙述するかの相違ということになろう。

■H■そうなると段階論にたいする現状分析の関係もまたちがってくるだろう。

■A■宇野さんのばあいには、原理論が純粋資本主義の一般モデルの設定、それにたいして段階論が発展段階の特殊タイプの検出となった。そこから現状分析が文字どおりの個別具体性の解明となったのだ。しかし、段階論をさっきのように、資本主義の段階的推移の必然性の具体的歴史的解明だとすると、もはや段階論と現状分析との相違は、具体性の度合という点では存在しないことになる。

 したがって相違は、全体と部分との相違、――つまり段階論が資本主義の世界体制の歴史的発展を主題とするのにたいし、現状分析は、その有機的一環としての各国資本主義の分析を主題とするというだけの相違となろう。

■A■要するに、原理論成立の根拠を、不純な要因を内面化するという意味での抽象にもとめるのと、不純な要因を排除するという意味での抽象にもとめるのとでは、経済学の方法がまったく異なってくるのだ。そしてこのどちらをとるかは、われわれの好みの問題ではなく、対象そのものの性質にかかわる問題だ。

 資本主義が世界体制であり、またそういうものとして、人類の歴史上はじめて真の世界史を開始するということの重要性を考えれば、われわれは、たんに国内だけに注目して不純な要因を排除するという傾向に原理論の根拠をもとめることはできない。

 宇野さんが、原理論、段階論、現状分析の区別をしただけで、その連関を明らかにしえなかったのは、この点の認識不足に由来するとみてよいだろう。

■B■そうすると話をもとへもどすようだが、原理論における商品、貨幣、資本の流通形態の展開は、資本主義の発生過程――重商主義段階――と対応するということになるのか。

■C■それは、原理論の各セクターと資本主義の歴史的発展との対応関係の問題になるので、原理論の体系構成論として問題にしたらどうか。

 

 <宇野原理論の体系構成>

■A■ふつう、歴史と論理との対応関係が問題とされるばあい、原理論の商品、貨幣、資本の展開から生産過程論への移行のところと、資本主義の発生確立との対応関係が問題にされる。

 だが、この部分は単純にそういうかたちで問題にすべきではない。そこには三つの側面があるからだ。

 まず第一に、宇野さんのように純粋の資本主義的生産だけをとりだして前提にしたばあい、この商品、貨幣、資本の展開は、資本主義的生産をおおっている流通表面の諸関係を資本が価値増殖過程の内的関係に集約し還元していく機構の展開だということになるだろう。

 第二に、しかしこの機構は、同時にまた、資本が対外関係を国内流通関係に内面化しそれをさらに資本主義的産業部門の価値増殖関係に内面化する機構でもある。つまり、商品、貨幣、資本の展開は、資本主義が世界市場関係や国内の不純な要因をみずから抽象するその諸形態の展開でもあるわけだ。

 第三に、資本主義は、この対外関係――社会と社会とのあいだの関係を対内関係に内面化しそれを価値増殖関係に還元するそのおなじ流通形態をもって、歴史的にも発生するということだ。16世紀に成立した世界市場がヨーロッパ諸社会の封建的領有関係や農村共同体的土地所有関係を分解し、それらを商品経済的私有関係に再編成し、農民を土地から分離し、ヨーロッパ諸国民に商業征覇戦や近代国民国家の形成を強制し、租税制度や公債制度を導入させ、最後にその商業征覇国の内部に産業革命を準備したその諸形態は、そういう商品、貨幣、資本の流通諸形態以外のなにものでもない。

 だから原理論のいわゆる流通形態論は、この三つとも含蓄していると考えなければならぬのであって、資本主義の歴史的生成だけに対応しているとするわけにはいかない。

■B■そうなると、宇野さんの原理論の流通論となんらかわらないではないか。

■A■そうだ。じっさいには宇野さんこそ、『資本論』冒頭の商品論から価値実体論を排除することによって、商品、貨幣、資本の展開にそういう性格をあたえたとみてよいだろう。

 また、かわらないという点になると、原理論の第二の領域、宇野さんのいう生産論についても同様だ。ここでは、いっさいの関係が、商品世界の流通関係をもふくめて、生産過程内部の価値増殖関係――生産過程を基軸とする資本家と労働者の階級関係のうちに内部化されているからだ。純粋の資本主義社会を想定しようと、対外関係や不純な要因をともなった現実の資本主義をそのまま対象にとろうと、この部分の展開にはかわりえようがない。

■B■そうすると、原理論と段階論との対応関係が特別に問題になるのは、『資本論』第三巻の「総過程」論、宇野さんのいう分配論だけだということになるのか。

■A■まさにそのとおりだ。宇野さんは、総過程論に分配論という名をつけている。だが、そこでやっているのは、剰余価値の具体的諸形態への分化論だ。それが、資本自身の具体的諸形態への分化論と対応することはいうまでもない。

 つまり、第三巻の総過程論は、その論理の性格からいっても、第二巻の生産論でその生産的基礎――社会的生産の主体としての確立の基礎――を明らかにされた資本が、それを基礎にして、みずからを具体的諸形態へと分化発展させる、という説き方をせざるをえない。ヘーゲル論理学を援用すれば、それは第二巻の本質論にたいする第三巻の概念論にあたるわけで、そこでの論理の性格は、本質論での反省の関係にたいし、発展の関係、――自己の根拠を確立した主体がみずからを具体へと分化発展させるという関係にならざるをえない。

 この点を確認しておいて、こんどは現実の資本主義の歴史的発展を問題にしてみると、その発生過程は、真の意味での発展過程ではない。それは、商品経済が種々な生産体に外部から働きかけ、それを自己のうちにとりこんでいくプロセスにすぎない。真の意味の発展は、したがって資本主義の発展段階としての発展段階は、産業革命をとおして自己の生産基軸を確立しそれによって生産の社会的主体となった資本主義についてのみ問題となる。

 そしてそのばあいの発展とは、いっさいの外的要因――他の種々の社会的生産や政治的、地理的、慣習的、道徳的要因等々――との相互作用を世界市場的過程を通じて、その生産過程の価値増殖関係のうちに内面化しつつ、その内的矛盾によって分化発展するという意味での発展となろう。

 だから、こういう意味で、歴史的発展と理論的展開との対応関係が真に問われるのは、産業革命以降の資本主義の発展と原理論の第三領域との対応関係だといってよいだろう。そこでは、自由主義時代のイギリスの発展傾向に即して不純な要因を捨てるという抽象方法をとるのと、不純な要因の内面化という抽象方法をとるのとで、総過程論の展開に具体的相違がでてこざるをえない。

■B■では、どうちがってくるのか。

■A■そのまえに、宇野さんの分配論の篇別構成を確認しておこう。

■F■第一章が利潤論、第二章が地代論、第三章が利子論だ。つまり、利潤の対立物を地代にもとめ、利潤と地代との統一を利子にもとめている。

 したがって、地代論の主題は、絶対地代の展開にある。差額地代論はそれを媒介するものとして意義をもっているにすぎない。絶対地代で、所有そのものに果実があたえられるという原理がでてくるのが根本だ。これが資本所有そのものにたいしても果実があたえられなければならないという関係を要請する。それが利子だということになっている。

 だから、利子論でも、資本所有の果実としての利子に中心がある。商業信用や銀行信用の展開、そこからでてくる貸付資本利子は、たんにそれを媒介するという点で意義をもっているにすぎない。

■A■宇野さんの分配論の篇別構成からいえば、そうなるといってよいだろう。

 だが、宇野さんの分配論には、もうひとつの面がある。

■C■また、二人の宇野さんか。

■A■そうだ。宇野さんの分配論の最大の功績は、商業信用、銀行信用の展開をとおして、利潤と利子との対立関係、産業資本と社会的貨幣資本との対立関係を設定し、資本の蓄積過程の内的矛盾がこの対立関係に外化することを明らかにし、それによって景気循環論を原理論の内部に設定したことだ。

 そして宇野さんによれば、この景気循環は、資本主義がその生産関係と生産力の矛盾をみずから解決しては再生産する具体的なかたちであり、また、価値法則が資本主義的生産の現実の運動法則としてみずからを貫徹するかたちでもある。

■F■だが、宇野さん自身は、その関係を分配論の主軸に据えていない。篇別構成上では、それは、第三章の利子論で脇役を演じているだけだ。

■A■宇野さんの分配論ではそうだが、問題は、それをわれわれが総過程論の主役にひきあげたばあいどうなるかだ。

 まず、第一章の利潤論にたいして、第二章は、利子論とならざるをえない。剰余価値の側からではなく、それをうみだす資本の側からいえば、第一章の産業資本にたいして、第二章は貨幣資本とならざるをえない。つまり、資本と土地所有との対立ではなく、利潤と利子とへの利潤自身の分化、産業資本と貨幣資本とへの産業資本自身の分化が、第二章の主題となるわけだ。

 そうなると、第三章は、利子の規定における利子と利潤の統一、貨幣資本の規定における貨幣資本と産業資本の統一とならざるをえない。そしてそれは、利潤を利子率によって逆算していわゆる資本還元し、それによってえられる貨幣額を産業資本に擬制するという形態、産業資本の社会的貨幣資本への擬制としての「株式資本」以外には、ありえない。

 問題は、どちらをわれわれが選択するかだ。たんなるストーリィ構成の点からみれば、どちらも首尾一貫して展開しうる。それは、われわれの好みの問題ではなく、対象自身の性格の問題だ。

■F■宇野さんもまた、その問題を対象の性格に問うている。宇野さんが、絶対地代を重視するのは、労働力商品化の問題を重視するからだ。労働力を生産手段から分離する根本は、土地私有の確立にある。土地私有による労働力商品化にたいし、資本は、その代価として絶対地代をあたえるというのだ。そういう意味で、土地所有は、資本家的生産自身によって必然になった資本の対立物というわけだ。

■A■だが、それは、資本の原始的蓄積過程にぞくする問題だ。それは、商品、貨幣、資本の形態的展開の背後に想定さるべきだ。総過程論では、資本自身が有機構成の高度化による相対的過剰人口の形成を通じて労働力商品を拡大再生産しうる機構をすでに確立していることが、前提となっている。

 その点を念頭におけば、そして資本主義は産業とおなじように農業を資本主義化するものではなく、むしろ農業生産の外部で、加工工業部門を中心として確立するという点を考慮すれば、われわれは、地代論の力点を絶対地代論にではなく、差額地代論におき、それを平均利潤論の補論的地位にひきさげなければならない。

 それが対象への真の問い方ではなかろうか。

■F■だが、地代論の地位をひきさげるということは、産業資本と貸付資本との対抗関係を第二章の地位にもってくるということの積極的論拠にはならないのではないか。

■A■それはそうだ。そのこと自体を積極的に現実の資本主義の歴史的発展に問うてみなければならない。そうすれば、結論はおのずから明白だ。近代的信用制度の成立を媒介にする19世紀中期の景気循環こそは、資本主義が歴史的にもつ唯一の規則的な運動形態だからであり、また資本主義は、この運動をとおしてのみ価値法則を現実に貫徹し、その生産力と生産関係の矛盾を周期的に形成しては解決しつつ発展するからだ。そしてこの運動にたいし、土地所有や地代は、ほとんどなんの意味ももたないからだ。宇野さん自身、段階論では、この運動によって産業資本的蓄積を代表させているほどだ。さらにたちいっていえば、資本主義がイギリスで産業革命を通じて紡績工業部門に機械制大工業を確立したのは、だいたいナポレオン戦争期から1820年代とみてよいであろう。織布工業部門ではこれよりもおそく1830年代だ。これによって利潤が、資本主義的生産の内的な価値増殖関係によって決定される関係が基本的に成立したわけだ。

 これにたいし、それを基礎にして近代的信用制度が成立し、景気循環機構が確立したのは、さらにおそく、1836年の銀行恐慌の整理過程をとおして、1840年代だとみてよいだろう。ピール条令の成立はその終局的表現だろう。ふつうには、1825年恐慌と1836年恐慌は、近代的産業恐慌とされているが、それはまだ過渡的性質のものとされなければならない。

 原理論における利潤論からの利子論への展開は、こうした歴史的発展に依拠する以外にはないのだ。

 そして、資本主義自身のこうした歴史的展開に即して総過程論の第二章に産業資本と貨幣資本の対立的運動をもつてくると、その第三章は、両者の統一としての株式資本論とならざるをえない。

■B■宇野さんは、原理論では、株式資本はたんに資本の理念としてのみ規定すべきで、その内容を展開すべきではないといっている。その内容を具体的に論ずることになると、原理論の法則的解明を否定することにならざるをえない、という理由からだ。

■A■たしかにそうだ。そういってよいだろう。

 だが、宇野さんは、株式資本の具体的歴史的形態である金融資本もまた内容を失なうことを忘れている。

 宇野さんは、金融資本的蓄積様式なるものがひとつのタイプとして存在するかのように思いこんでいる。だが、一定の資本蓄積様式をひとつの安定的なタイプとしてくりかえし再生産するのは、産業資本的蓄積だけである。そしてその具体的形態が自由主義段階の規則的な景気循環の過程にほかならない。

 じっさいには、宇野さんが金融資本的蓄積様式としてあげていることは、銀行によって援助される証券発行を通じて大規模な投資資金を調達しうることになると、不断に有機的構成を高度化する傾向が生ずるとともに、同時に他方では、銀行と産業の独占的結合によって投資を制限し、そうした高度化を阻止する傾向が生ずるということにすぎない。要するに、産業資本にみられた資本蓄積の規則的過程が撹乱されるという内容があるだけだ。いいかえれば、安定的な蓄積のタイプをもたないというのが、またその意味で固有のタイプがないというのが、金融資本の蓄積タイプの内容なのだ。

 そしてまたじっさいにも、帝国主義段階になると、資本の蓄積のタイプは、1873-95年の「大不況期」、1895-1907年の独占体の成立期、1907-14年の世界市場の独占的分割戦の時期と、次々に歴史的に推移しているのであって、そこにはもはや安定的蓄積タイプは存在しないのだ。

 金融資本は、たしかにその形態からみれば、資本の最高の最後の完成形態であるが、その現実の内容は、資本主義的生産の独占的分断と世界市場の独占的分割の闘争となるだけであり、価値法則を貫徹させ、それによって生産を統括し、再生産相互の国際的連関を均衡的に編成する機構を資本自身が否定することとなるわけだ。そういう意味では、金融資本において資本主義は理念的に完成し、現実の内容を失なうといってよいだろう。

 だから、原理論において、株式資本が資本の理念的完成となり、その内容を失なうとすれば、それは、現実の金融資本のこうした関係の反映だとしなければならないだろう。

■G■この問題はそのぐらいでうちどめにして、こんどはすこし視点をかえて、原理論、段階論と唯物史観との関係を問題にしてみようではないか。

 

 <原理論、段階論と唯物史観>

■G■宇野さんは原理論によって唯物史観が科学的に基礎づけられるといっている。それはどういう意味か。

■B■原理論の恐慌論で生産力と生産関係の矛盾が科学的に解明される。またそれによって経済的下部構造が上部構造から自立してそれ自身の内的矛盾によって動くことが明らかになるというわけだ。

■C■だが、それはすこし問題のすりかえではないか。唯物史観では、生産力と生産関係の矛盾による社会体制から社会体制への歴史的推移が問題になっている。

 これにたいし、恐慌論では、同一社会体制の内部での生産力と生産関係のいわば循環論的矛盾が解明されるにすぎない。どうして後者が前者の科学的基礎づけになるのか。

■A■両者のあいだにもうひとつ段階論を媒介において考えてみたらどうか。

 段階論では、同一社会体制の内部においてではあるが、生産力と生産関係の循環論的矛盾ではなく、発展段階の歴史的推移を媒介する矛盾が問題となるからだ。宇野さんは、せっかく段階論を強調したのだから、その問題をいきなり原理論から論ずるのではなく、当然に段階論を媒介にして論ずるべきだったのではないか。なぜ、宇野さんはそうしなかったのだろう。

■E■それは、まえにわれわれが問題にした点、つまり宇野さんが段階論から段階的推移の必然性の解明を排除し、それをタイプ的解明だけに限定したという点に関連するのではないか。

 資本主義自身の段階から段階への歴史的推移の必然性でさえ生産力と生産関係の内的矛盾によって解明できないとすれば、どうして、体制から体制への歴史的推移の必然性が生産力と生産関係の内的矛盾によって解明できることになるのか。

 原理論が資本主義の発展段階の歴史的推移の必然性を解明できないとすれば、当然にまた、唯物史観の科学的基礎づけもできないとしなければならぬはずだ。

■B■逆にいって、原理論の必然性と段階的推移の必然性とが基本的に同じもので、ただ叙述様式にちがいがあるだけだとしたら、宇野さんのいう意味とはまた別の意味で、唯物史観が原理論によって根拠づけられることになり、あえて段階論を媒介にする必要はないではないか。

■A■具体的にいえば、こういうわけだ。

 原理論の最後は、資本の株式資本化をもって終わる。それは、資本の最後の最高の完成形態が理念的完成にしかすぎぬということだ。それは、資本がもはや生産力と生産関係の矛盾を現実的に解決する機構をもたぬということの、またそういう意味で体制の限界の、抽象的な宣言、資本自身による宣言だとみてよいであろう。

 これにたいし、段階論の最後は、帝国主義世界戦争の経済的必然性の解明をもって終わる。ここでは、資本が生産力と生産関係の矛盾をもはや自己の体制内では解決しえぬということを、帝国主義世界戦争の必然性というかたちで、具体的に宣言するわけだ。そしてそこからさらに展望されるのは、そうした世界戦争がもたらす世界的な危機――世界的な革命情勢だ。

 つまり、段階論は、そういう具体的なかたちで、資本主義体制から社会主義体制への歴史的推移の必然性を明らかにする。あるいはすくなくとも、それに科学的展望をあたえる。

 したがって、段階論を媒介にして唯物史観に接近するということは、より端的にいえば、生産力と生産関係の矛盾による資本主義体制から社会主義体制への歴史的推移論を根拠にして、そこからふりかえって、過去の歴史における体制から体制への歴史的推移の必然性を推論するということだ。

■G■もともとマルクスが唯物史観に到達したのも、資本主義の経済学的解明を基礎にしたわけではないが、そういった思考様式によるのではないか。まず、資本主義から社会主義への体制的推移論――生産力と生産関係の矛盾論にもとづく推移論ができあがって、そこから過去の歴史的発展を逆推論したのが、かれの唯物史観だ。

■A■そうだ。われわれは、マルクスがやったことを原理論、段階論を媒介にして科学的にやるわけだ。

 そしてそのばあいには、唯物史観の限界も科学的に明らかになる。

■G■それはどういうことか。

■A■段階論を媒介にして考えると、資本主義自身の段階的推移、また資本主義から社会主義への歴史的推移と、過去の歴史的発展との本質的相違が明確になるということだ。

 前者のばあいには、世界史的推移ないし発展として問題にすることができる。

 これにたいし後者のばあい、つまり、原始社会、古代社会、中世社会というような歴史的発展のばあい、それが世界史的発展としてなりたつかどうか、あるいは民族史としてさえも歴史としての継続性が保証されているかどうか、根本的に問題だ。すくなくとも資本主義の世界史的発展とは本質的に異なるといってよいだろう。

 しかも、まえに議論したように、資本主義の世界史的発展段階でさえ、きわめて相対的な意味で、つまり、他の社会関係や政治過程との相互作用を価値増殖関係のうちに内化するというかぎりで、生産力と生産関係の内的矛盾による必然的発展をなすといえるにすぎない。

 この点を段階論をとおしてわきまえておけば、唯物史観を過剰拡張してドグマにおちいるといった公式マルクス主義のあやまりをくりかえさないですむのではないか。

■F■唯物史観というのは、世界史についてだけ問題になるのか。

■E■もともとそうだろう。それはヘーゲルの世界史をマルクスが唯物論的にひっくりかえしたものだ。アジア的、古典古代的、ゲルマン的というのがそれだ。

■H■資本主義以前でも、生産力の伝播とか、文化の移入だとか、商業民族の仲介とかのかたちで、ある程度の世界史的継続性があるのではないか。たとえいくつかの民族史に断絶があったとしても。

■A■そういう意味の歴史的継続性は否定しえない。だからある程度の唯物史観的展望がつけられるのだろう。しかし、その伝播性は、資本主義史におけるそれとは本質的に異なることをわきまえていなければならない。資本主義はひとたび確立すると、景気循環に示されるような世界的運動体となるのだ。

■B■マルクスの書いた『資本主義的生産に先行する諸形態』というのがあるだろう。『経済学批判綱要』のなかの一節だ。そこでマルクスは、資本主義以前の歴史的発展を世界史としてやっているのではないか。

■A■内容的にはぜんぜん逆だ。

 資本主義的所有関係を私的所有として押えたうえで、それとの対比で、それ以前の所有形態を土地の共同所有として押え、その共同体的土地所有関係の歴史的分類学をやっているのだ。文字どおりのタイプ的解明だ。

 アジア型、ギリシャ・ローマ型、ゲルマン型というのがそれで、外面的な比較による徹底的な分類学だ。ただ比較によってどれがより高度かを論ずるかぎりで発展系列になっているにすぎない。

 むしろここに、資本主義以前の歴史的発展にたいする唯物史観的解明――生産力と生産関係の内的矛盾論による世界史的解明の限界が、もっとも鋭く示されているのではないか。それはまた、資本主義以前の歴史的発展を科学的に分析する方法も示しているのではないか。

 それは、資本主義以前の歴史的発展を科学的に分析するためには、タイプ的解明――外面的な比較分類学的方法に徹底しなければならぬということだ。地域的分類なり歴史的なタテの系列での分類なりによって。

 唯物史観は、これらの分類タイプの相互関連や発展関係を推論するときに、その基準として消極的に役立つだけだと考えるべきだろう。

■E■宇野さんの段階論の方法は――タイプ論は、むしろ資本主義以前の歴史的発展の分析にあてはまるというわけか。

■A■そういってよいだろう。すくなくともそういうことをわきまえておけば、こんどは逆に、なぜ資本主義の世界史的発展段階を生産力と生産関係の内的矛盾による必然性として解明しなければならぬかという理由も、よりはっきりしてくるだろう。

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