■矢吹晋氏への質問「習近平政権と社会主義」(矢沢国光)■

[1]福祉政策に見る中国「社会主義」

 「中国は社会主義(をめざしている)か」と抽象的に問うのは、意味がないと考える。人々の生活がよくなっているか、福祉・社会保障にかかわる実際の政策を見ていきたい。

 中華人民共和国成立と朝鮮戦争後の1950年代後半、毛沢東の「反帝反修」政治闘争優先主義(その極みが文化大革命)で、経済は軍事優先となり、人々の生活を支える経済発展は後回しにされた。

中華人民共和国成立後の福祉国家システム(都市の国有企業等の「単位」による福祉と農村の人民公社)は、それなりに都市・農村の生活を保障していたが、文革の混乱と改革解放で、実質的形式的に解体した。

 鄧小兵の「先富論」による大胆な市場経済化路線にもとずく江沢民・朱鎔基政権の外資導入、WTO加入、国有企業の民営化で経済成長し、餓えることはなくなり、「貧困率」は大幅に低下したが、「先富論の負の結果」--農民工の劣悪な労働・生活、失業、農村の疲弊、都市・農村の格差、環境破壊--が進んだ。

 胡錦濤・温家宝政権は、「和諧社会」を掲げて、「先富論の負の結果」の解消をめざしたが、挫折した。

 

 (1)国家新型都市化計画(2014~2020年)の成果は?

習近平政権は、「汚職追放」で軍と党内の権力掌握を強化し、2014年「国家新型都市化計画(2014~2020年)」で、農民工の劣悪な労働・生活、失業、農村の疲弊、都市・農村の格差を一挙に解決しようとした(*)。

その結果はどうだったのか?

「中国社会保障制度研究報告書」(**)によると、都市部では医療保険・年金保険は整備されてきたが、公務員の中でも、軍人・政府幹部・大学教員は手厚く、それ以外の公務員とのあいだに大きな格差があるという。

 中でも深刻なのは、老人介護問題だ。一人っ子政策による少子高齢化と「農民工」(農村から都市への若者の流出)で伝統的な「大家族」が崩壊し、核家族化しており、家族の中で高齢者が介護できなくなっている。日本の「介護保険」から学ぼうとしているが、進まない。施設でのケアにも転換できず、「在宅介護」が基本になっている。

 都市部での医療保険・年金の格差について、習近平政権はどのような政策を持っているか。

 

 *三浦有史(日本総研調査部 主任研究員)「都市化政策と戸籍制度改革は中国経済を救うか

─着地点のみえない改革の行方 」

https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/jrireview/pdf/8069.pdf

**静岡県立大学グローバル地域センター中国社会保障制度研究室(代表・柯隆)「中国社会保障制度研究報告書」(2019年)

https://www.global-center.jp/media/20190627-113931-598.pdf

 

 (2)財政による施策か市場依存の政策か

社会保障制度の充実にとって、政府の財源が課題となる。中国の社会保険は、広く国民をカバーするものの、行政による保障や給付については基本的な内容にとどめ、それ以上の保障やサービスなどについては、市場や私的保障(貯蓄など)に依存しようとしていると言われる[ニッセイ 片山ゆき「中国の年金制度について(2017)-老いる中国、老後の年金はどうなっているのか。」

https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=58945?site=nli

民間保険や個人の貯蓄に依存する福祉で、「先富論による矛盾」を克服できるだろうか。

 

(3)福祉における中央集権性と「電脳社会主義」(矢吹晋)

 少子高齢化・核家族化でもっとも深刻化しているのは高齢者福祉の分野である(とくに農村の)。

コロナ対策では、電子情報システム(IT)によって個人の健康状態・活動状態・移動を政府が管理・統制して感染封じに画期的な成果を上げたと言われる。

習近平政権は、こうしたITシステムを、ビッグデータ・AI・5Gによりさらに高度化し、14億人の福祉・医療のニーズを集約し、一括管理で対応しようとしている。遠隔医療等が先駆的に始まっている。

こうした、中央政府が農村・職場・住区といった基層組織・集団を飛び越えて、電子網を通して全国民を一括して管理するシステムを矢吹晋氏は「電脳社会主義」と呼んでいる。

 

中国社会は、歴史的に「砂のようにばらばら」(孫文)と言われてきた。日本のようなコメ作農業にもとずく「ムラ」も、家業にもとずく「イエ」も形成されず、中国人は「宗族」や秘密地下組織の個人的つながりに依存するものが多かったと言われる。

歴代王朝の支配は、中央から役人を派遣して統治する中央集権体制であったが、その支配力が及ぶのは県レベルまでで、それ以下は、地元の有力者に丸投げされていたという。中華人民共和国が成立して初めて、中国共産党が県以下の郷・鎮レベルまで中央政府の統治を及ぼそうとした。その中で生まれたのが、農村の人民公社や都市の「単位」、居住区の居民委員会であり、福祉や生活保障も人民公社や「単位」がになうことになった。

文革の十年は、こうした人民公社や「単位」の福祉・生活保障の組織を機能麻痺させた。

改革解放によって、人民公社・「単位」はかたちの上でも解体された。

改革開放後の人々の福祉・生活保障は、人民公社・「単位」に代わって、社区(コミュニティ)の居民委員会がになうことになったと言われる(註1)。

こうしたコミュニティによる福祉と、「電脳社会主義」のような中央集権的福祉とは、どのような関係にあるのか?

(註1)1978年、中国では改革開放政策が実施され,経済体制改革が行われると同時に,社会福祉・社会保障体系が構築されつつある.中国の社会福祉分野では,…従来の「単位福祉」から「社区福祉」の形へ福祉サービスの供給体系が移行されてきた。…居民委員会の業務は社区サービス,社区衛生,社区文化,社区環境,社区治安等の分野 をわたり,また政府の出先機関ではないけれども,その窓口機能を果たしている。

[羅 佳「中国都市部の社区居民委員会の現状―現地調査の3つの事例を踏まえて―」2008]

https://www.n-fukushi.ac.jp/gp/coe/report/pdf/wp-2008-1-1.pdf

 

 

 

[2]「偉大な中華民族」と社会主義

矢吹晋氏は、矢吹晋・藤野彰著『客家と中国革命 「多元的国家」への視座』(東方書店2010)の中で、台湾の一国二制度について、次のように書いている:

中共中央台湾工作弁公室と国務院台湾事務弁公室が編集した「中国台湾問題」(九洲図書出版社、一九九八年)という本があります。この本の一二四頁で「一国両制」を台湾に適用する場合の考え方を次のように解説しています。未来の台湾特別行政区は「立法権、独立した司法権と最終裁判権、一定の外事権」を享受するだけでなく、「軍隊を持ち、中央政府は軍隊と行政人員を台湾に派遣しない」ものとする。「これらはすでに連邦制国家の成員の享受する権利を超越している」。このように解説したあと、この言い方は鄧小平の言葉だとして、次のように引用しています。「一国両制」に基づいて統一を実現した後(の姿)は、「連邦の性質を持つと言ってよいが、連邦と呼んではならない(可以說有連邦的性質、但不能叫連邦)」。というのは、「連邦」という言葉は容易に「二つの中国あるいは一つ半の中国」と解釈されやすいからです。つまり、「連邦」という言葉は使わないことにするが、「限りなく連邦に近い」体制、あるいは連邦を「超越した」体制だと、鄧小平は論じているのです。この精神は、他の少数民族政策においても活かされるべきだと私は理解しているわけです。

(1)台湾と「一国二制度」

改革開放後、鄧小兵が「台湾の平和的統一」「一国二制度」を打ち出した意味は何か?

中国自体の市場経済化によって、中国と台湾の経済体制の差異が解消する、ということか?

中国の経済発展と中台の経済的交流の発展により台湾が中国の一部になるのを待てばよい、ということか。

あるいは、台湾の「独立」(「一国」の否定)阻止を最優先したということか。

 

(2)香港問題 

 この間の香港に対する政治的支配管理強化により、香港から多くの資本主義的人材・資本が流出していると言われる(*)。中国は香港の回収にあたって、「一国二制度」つまり、香港の資本主義経済制度の維持を約束したが、香港の経済活動は、人材・資本の流出により、低下する。これは中国にとっても損失のはずだ。習近平政権は、香港の対外的窓口としての役割は、他の沿海都市で代替できると見ているのだろうか。

 *2021年3月19日日本経済新聞 香港市民の「脱出」急増https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM157D90V10C21A3000000/

 

 また、中国は、「愛国者による香港統治」のための香港選挙制度の改革に乗り出した。「愛国者」に「国民」を限定する国家論は、習近平政権が認める国際規範としての「国民国家」の考え方に反するのではないか?

 

習近平政権が、このような無理を承知で「香港の自治」を抑制するのはなぜか?

 

[3]少数民族問題

(1)ウイグル問題

米・バイデン政権は、英・EUとともに「ウイグル人権問題」批判を強め、日本にも同調するよう求めている。

米・英・EUが中国批判の根拠とする「証拠」は、NYタイムスが入手したとされる大量の中国政府内部文書である(2019.11.16NYタイムスが報道)。

これに対する中国側の対応について、英エコノミスト誌(註*)は、「事実」の全面否定論から、「事実」の一部を認めた上での正当化論まであるとした上で、次のように書いている:

「中国政府が秘密裏に進めてきた新疆での残虐行為に世界がどう対応すべきかという問題も、極めて難しい問題だった。だがその弾圧が公になっても、それをまずいとも思わない中国への対応はさらに大きな頭痛の種だ。」「新疆での残虐な対応を批判することは、中国政府だけでなく中国の世論とも対立することを意味する。世界にその戦いに挑む覚悟があるのかどうかはさだかではない。」

NYタイムスの報道のあと、中国政府はマスコミのウイグル公式取材を認めた。(註**)。

 

ここで矢吹氏に問いたいのは、欧米日の対中国人権批判の是非ではない[A国のB国に対する「人権侵害あり」という批判は、国際的勢力配置のための手段(仲間集め)という意味をもつ。アメリカは日豪印を結集して対中国封じ込め体制(クワテット。「自由で開かれたインド太平洋連合」)を構築したい。日本にウイグル人権批判の隊列に加わるよう要請するのは、こうした国際戦略の一環という意味をもつ。こうした国家間の外交手段としての「人権」は、ここでは扱わない。]

 

①中国に「公になってもまずいとも思わないウイグル弾圧」があるとすれば、それは何のためか?

② 習近平政権のウイグル族政策は、少数民族の伝統的な生活様式・文化・自治を侵害するように考えるが、どうか?また、こうした習近平政権の少数民族政策に対して、中国の国内(漢族)からの批判はないのか。

③宗教政策

習近平は2016年全国宗教工作会議で、「宗教管理は党と国家にとって特殊な重要性を持つ。法治によって社会主義に適応させよ」と指示した。

中東のイスラームが、19世紀以降、英仏の帝国主義的分断・支配に対して、宗教的結束を基盤に闘ってきたのは、歴史的事実である。過激な武装テロ集団「イスラム国」もその延長にある。

習近平政権が、イスラームの過激武装テロを予防・制圧するためにイスラーム宗教そのものを抑圧するのは、イスラームのこうした帝国主義との闘いの歴史的過程を無視するものではないか。

また、宗教弾圧は、かえって民族的反抗を呼び起こし、逆効果ではないか。

 

(註*)▼ウイグル問題、開き直る中国(The Economist) 2019年11月25日

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52567880V21C19A1TCR000/

 

(註**)その一例。朝日新聞2019年5月20日「監視下の取材で見た涙 ウイグル族の女性「私は中国人」」

https://digital.asahi.com/articles/ASM5J3JHRM5JUHBI00Y.html?iref=pc_rellink_01

 

(2)少数民族と「中華民族の国家」

こうした少数民族政策の背景には、「偉大な中華民族の国家」をめざすという国民国家(主権国家)戦略があり、ウイグル族、チベット族、モンゴル族もこの「中華民族の国家」の一部に組み込む(のが当然だ)という考えがあるのではないか。

矢吹晋氏は、毛沢東はもともと「連邦制」を構想していたという。また各少数民族の文化、宗教、習慣を尊重するとも書かれている[矢吹晋ほか『客家と中国革命』]。

第二回大会(一九二二年七月)で採択された「中国共産党第二回大会宣言」には「連邦」構想が書き込まれていた。

第二回党大会の政体に関わるスローガンは次のごとくであった。第一、中国本土(東三省を含む)を統一し、真の民主共和国とする。第二、モンゴル、チベット、回疆の三地区で自治を実行し、民主自治邦とする。第三、自由連邦制を用いて中国本土、モンゴル、チベット、回疆を統一し、中華連邦共和国を樹立する。

ここから創立初期の中国共産党の考え方は「連邦案」であったことがわかる。

 

中国ソビエト政権は中国国内の少数民族の民族自決権を承認し、各弱小民族が中国から離脱し、自ら独立の国家を樹立する権利を一貫して承認してきた。モンゴル族、回族、チベット族、ミャオ族、リー族、朝鮮族など、およそ中国地域内に居住する者は完全な自決権、すなわち中国ソビエト連邦に加入し、あるいはそれから離脱し、あるいは自己の自治区域を樹立する権利を持つ。

 

毛沢東は延安で行った「新段階を論ず」(一九三八年一〇月、第六期六中全会報告「抗日民族戦争與抗日民族統一戦線発展的新階段」)という報告の中で、こう述べている。

…各少数民族の文化、宗教、習慣を尊重し、彼らに中国語の読み書きや会話を学ぶよう強制しないだけでなく、彼らが各民族自らの言語文字を用いた文化教育を発展できるよう支援すべきである。

 

 「漢族」はあるが「中華民族」という民族はない。「中華民族」とは、漢族中心の中国共産党が、モンゴル、チベット、ウイグル等の少数民族を無理矢理単一の国家に統合するために、人為的につくった用語である。

 ウイグル問題、チベット問題、モンゴル問題は、中国共産党がかつて[おそらくレーニンの民族政策とソ連の連邦制にならって]構想したように、複数の民族共和国の連邦制にすること以外に解決の道はないのではないか。

 

[4]「中国の民主主義」とは

中国は「中国式の民主主義」を「西欧的民主主義」に対置する。「中国式の民主主義」とは何か?

 

(1)党・軍・国家の間系

 中国の軍は「国家の軍」ではなく、「党の軍」だとされる。

 1949中華人民共和国成立以前にあっては、「国家」*は(国民党の「中華民国」は別にして)いまだなく、軍は革命党の組織の一部であり、軍は当然にも「党の軍」であった。

 

(*)ここでは近現代の国家、つまり「主権国家」ないしその特殊な形態としての「国民国家」を想定している。[小川浩之ほか『国際政治史 主権国家体系のあゆみ』有斐閣2018]

 

 第二次大戦末期になって、増加した共産党の支配地域「根拠地」「辺区」も、国境、国民は不定であり、「国家」とは言えない。国家が未成立であるから、「党の軍」という関係も変わらない。

 

 1949中華人民共和国成立によって、国家・党・軍の新たな関係が生まれた。

 中華人民共和国成立当初は、中国共産党以外の民主諸党派からも政府委員会の構成メンバーに入っていた(副主席6名中3名は共産党以外の人士)。「中華人民政治協商会議共同綱領」も「新民主主義革命」を基調とするものであり、「社会主義的改造」は、将来の課題とされていた。

 

 その後、毛沢東の反帝世界革命路線が前面化し、中国の「国家」は「革命のための組織体制」という色彩を濃くしていく。こうして、「国家」は「革命党」(中国共産党)の陰に隠れてしまった。

 

 文化大革命の失敗、毛沢東の死、改革解放で、「毛沢東の世界革命の時代」は終わった。

 にもかかわらず、改革開放後の今日も、軍が「国家の軍」ではなく、「共産党の軍」になっているのはなぜか?

 

(2)個人崇拝の弊害

 大躍進や文化大革命は、中国人民にとっての災難であったと「歴史決議」で総括されている。

 大躍進も文化大革命も、毛沢東が党・国家の通常の合意形成手続きを無視して、また、批判をときには暴力的に封じ込めて、カリスマ的権威により強引に押し進めた。

 大躍進の失敗は、地方の党員・幹部が上からの増産命令に闇雲な「実績」競争したことが大きな原因だと言われる。

毛沢東後の改革解放において、党・国家における個人独裁の排除が重要な課題となり、個人崇拝の排除、集団指導制、任期制が導入された。

 ところが習近平は「国家主席の任期10年」の制限を撤廃した。これは、個人独裁防止の歴史的教訓に反するのではないか。

 

 

(3)「差額選挙」は機能するか

 中国の政治組織は、共産党と全人代(国家)の二重になっている。

 共産党には、資本家も加入できるようになった。党員も7000万人と、巨大である。

 中国式民主主義は、共産党においてどのように機能しているのか?7000万党員大衆の意向が党の人事・政策に反映するか?

 

全人代は、下級の人代が上級の人代を「差額選挙」で選ぶことになっているが、候補者は定員の1/5~1/2と制限されている。最下層の直接選挙でも、候補者は、定員の1と1/3~2と制限されている。

こうした(制約の多い)選挙制度は、中国式民主主義において、どのような機能を果たしているのか?

 

(4)党内外からの批判

毛沢東の大躍進・文化大革命党の暴走をゆるした大きな要因の一つは、党内外からの批判を暴力的に封じ込めたことにある(延安整風、百花斉放・百家争鳴、三反五反、…)。

毛沢東の中国共産党内における権威・権力があまりに強かったために、仮に「自由な言論」がゆるされていたとしても、毛沢東の暴走は止められなかったかもしれないが、習近平政権の言論・出版・学術に対する過度の取り締まりは、毛沢東時代の歴史的教訓を生かしていないのではないか。

 

[5]毛沢東時代の総括と習近平の「社会主義」

1981年の「歴史決議」は毛沢東の発動した文革を誤りであり、国家と人民に大きな挫折と損失を与えたと、否定しているが、文革の意味やその背景についての総括はない。

 

(1)毛沢東のソ連修正主義批判とベトナム戦争

毛沢東は、帝国主義戦争の不可避性にもとずきフルシチョフの平和共存路線を「修正主義」と批判した。ソ連に対する批判をエスカレートして、ソ連の軍事的脅威に備えることを政治経済戦略の基本とした。その結果、ベトナムに対してもソ連との決別を迫り、かえってベトナムの中国からの離反をもたらした。

毛沢東および中国共産党は、それまでの激しい「ソ連修正主義」批判にもかかわらず、1971年、一転して対米接近した。対米接近は、アメリカとの平和共存であり、「平和共存」は、それまでソ連に対して修正主義と批判していたことであった。矢吹晋氏はこの転換を、「米ソ二正面作戦を避けるため」と説明されているが、アメリカの軍事攻勢に対して闘っているベトナムから見れば、ベトナムを軍事支援しているソ連をアメリカ以上に敵視する中国の世界政策は、とうてい了承できるものではなかった。[ソ連の航空機、戦車のベトナムへの供与は、ベトナムの勝利に大きく貢献した。]ホーチミン死去後のベトナムは、反中国に急転回する。

毛沢東のソ連修正主義批判は、ベトナム戦争という現実によって、否定されたのではないか。

 

(2)毛沢東の文革と世界革命戦略の破綻

毛沢東の文革は「社会主義陣営(反帝国主義闘争の陣営)においてソ連に代わって主導権を握る」こと、そのために党内のソ連派・修正主義を打倒することがねらいであったと見られる。(朱建栄『毛沢東のベトナム戦争』)。

毛沢東は「帝国主義戦争の不可避性」の上に世界革命戦略を構想していたが、東西冷戦は、スターリンの死とフルシチョフのスターリン批判以降、緊張緩和(デタント)に向かった。ニクソン訪中は、中ソの分断と米中、米ソの協調をもたらした。これによって、毛沢東の反帝世界革命路線の破綻が、国際関係の上でも示された。

毛沢東の文革は、毛沢東の世界革命戦略の下に中国共産党を再確立するための党内闘争であったが、肝心の「世界革命戦略」自体が、誤っていた。その誤りの根本は何か。

毛沢東の世界革命戦略は、「帝国主義の世界戦争は不可避である。」「世界戦争を阻止する戦いを通して社会主義を実現する」というものであり、レーニンの「帝国主義戦争を内乱へ」の系譜を引く。

第二次大戦後、米英仏等の資本主義(西側)諸国は、マーシャル援助とNATOによる対ソ封じ込め体制(冷戦体制)を構築した。それは、「共産圏」(東側)の軍事的制圧(第三次世界大戦)をめざすものではなく「共産圏」の「封じ込め」体制をめざすものであり、また、冷戦体制の構築を通して、アメリカ資本主義の巨大な経済力による資本主義世界の経済回復・経済成長をめざすものであった。

毛沢東と中国共産党の「帝国主義戦争は不可避」「帝国主義戦争を社会主義革命へ」という世界革命戦略は、こうした第二次大戦後の世界資本主義を、事実にもとずいて認識するものではなかった。

毛沢東は、抗日戦と国共内戦を勝利に導くことによって、中国共産党内における絶対的な地位を確立した。その革命戦略を「農村が都市を包囲する」と定式化し、さらに、世界の「農村」が世界の「都市」を包囲する世界革命戦略へと発展させた。

毛沢東のフルシチョフ「平和共存」批判・ソ連修正主義批判は、こうした中国革命によって形成された毛沢東の自信と世界革命戦略にもとずいている。

だが、毛沢東の内外政策は、大きく失敗した。

毛沢東の世界革命戦略のどこに問題があったのか?

毛沢東は、第一に、中国共産党の勝利が、20世紀初頭から第二次大戦終結までの「戦争と革命の時代」の一環として実現したことを、故意にか、無視した。抗日戦争は中国共産党の軍だけでなく、米ソに支援された国民党軍が大きな役割を果たしたこと、日帝の敗北は、米英ソ連合軍への降伏であったこと、「中国革命の勝利」は、日本軍の撤退とヨーロッパにおける米ソの角逐によってもたらされた地政学的な空白状態が幸いしたこと――こうしたことが無視された。「偉大な領袖・毛沢東」神話も、こうした文脈の中で、作られた。

第二に、毛沢東は、第二次大戦の終結とともに「戦争と革命の時代」が終わったこと、東西「冷戦」の時代に移行したことの意味を認識できなかった。

 

習近平は、毛沢東の暴走の背後にある毛沢東の世界革命戦略について、どのように総括しているのだろうか?

 

(3)習近平の世界戦略

鄧小兵は、改革解放後の国家戦略として、「韜光養晦」と「社会主義市場経済」を打ち出した。ソ連崩壊後のアメリカも、中国のこうした姿勢を歓迎した。中国はWTO加入と欧米日資本の導入によって、アメリカと世界一を競う経済大国になった。

だが、習近平の中国は、「一帯一路」の世界経済戦略と軍事力強化を進めている。

習近平政権は、「韜光養晦」からアメリカに対抗しうる「強国化」の戦略に転換したようにみえるが、その先にどのような展望を描いているのか?

習近平の世界戦略が、アメリカのような「強い主権国家」に対して、自らも「強い主権国家」になって対抗するというのでは、これまでの資本主義国家と同じだ。世界は「資本主義列強の勢力均衡」が続き、いつまでたっても「主権国家」つまり資本主義強国の「脅威」に対する軍事的安全保障体制としての国家から脱出できない。

習近平政権が「社会主義」をめざすというのであれば、資本主義主権国家に対して自らも「強国」となって対抗するのではない対外政策・国家政策を持たねばならないが、習近平政権にそのようなものがあるだろうか。