■■4月17日 オンライン学習会の事後報告■■

●日時:2021年4月17日(土)13:30-16:30

●報告者:青山 雫

●テーマ 「MMT批判の諸相とコロナ禍の経済政策」

 3月21日(日)、武蔵大学の主催にて、現代貨幣理論(Modern Monetary Theory、MMT)をめぐるオンライン・シンポジウムが開催されました。

「MMTは何が間違いなのか」の著者ジェラルド・エプシュタイン教授も参加し、国際的なネットワークを通じて行われました。

今回の学習会では、このシンポに参加した青山(世界資本主義フォーラム運営委員)が、シンポジウム全体の雰囲気と主要な論点について、報告し、参加者により、活発な討論が行われました。

​●青山報告       pdfファイルを開く

 

●報告者・青山の補足

 本日のフォーラムで提起された疑問点について、思いつく範囲でかつ記憶のフレッシュなうちにお応えしておきたいと思います。
 前もって申し上げたいのは、別に以下の私の見方は、とくにMMTの著作だとかを参照してのものではなく、合理的な経済主体を前提にした思考実験によるものであることです。

 表題に関してですが、MMTの想定では、財政ファイナンスにそのままつながってしまうのではないのか、と北原さんから提起されたと思いますが、まずはその点について。

 本日の資金循環図式で説明しているのは、あくまで赤字国債の売却は政府と民間銀行の取引(プライマリーディーラを加えても本質的な変更はない)であって、中央銀行はただ民間銀行準備と政府国庫との間の入出金(口座振替)を担当しているだけであること、すなわちこの限りでの国債の入札自体に利潤機会を見出す主体ではありえないことを確認しておきます。

 とすると、国債の中央銀行の直接引き受けに中央銀行自身はいかなるインセンティブを見出すのか。国債がプライマリーディーラーの参加する入札市場で消化されるなら、中央銀行がそこに出張っていく積極的な理由はないでしょう。国債の中央銀行引き受けが生じるのは、政府がプライマリー市場で国債の買い手を見出すのが困難な時であって、政府の所望利率では消化できず、逆に極端な高利でないと(国債価格は低下)買い手
を見出せない、このことがまずは生じていると考えざるを得ない。しかし中央銀行が民間銀行と同じく利潤動機で行動しているとするならば、民間銀行が引いてしまう条件で応札するとは考えられない。突き詰めて言えば、利潤動機はわきに置いておいて、政府の財政資金を供給するというまさに政府の銀行としての行動に基づくものとみるほかはないのではないか。

 MMTは中央銀行について、そこまで強い仮定は置いているのではなく、単なる口座振替業務という黒子役以上の役割を持たせていないのではないか。財政ファイナンスに直ちに接続するような仮定は置いていないように見えます。財政ファイナンスまで行き着かなくても赤字国債が循環的に自己ファイナンスしていく構造を示すところにMMTの眼目があるのではないでしょうか。もちろん現実の中央銀行は、日銀が典型的なように、実質財政ファイナンスに踏み込んでいる、政府の銀行としてふるまっているのは見た通りです。
 それは中央銀行が「今や」利潤追求する民間経済主体ではなくなっていることの表現と思われます。かつてのイングランド銀行の株主はロスチャイルドなど最大手銀行で構成されていましたが、その時代でも「最後の貸し手」として、単に利潤動機だけで動かされる民間銀行とは一線を画す位置にあったのではないか。中央銀行の独立性なる観念は、かつてはともかく、今やいずこに。具体的に上げれば、現代においては均衡財政を金科玉条にしているブンデスバンク一行のみになってしまっている。それが可能なのは、ドイツは自国生産性に
対して割安なユーロに乗って、有効需要創出策に頼らず、輸出ドライブで(近隣窮乏化策)で国内GDPの成長をこれまで実現してきたからではないか、と考えております。